アントワーヌ=ピエール=ルイ・バザン(Antoine-Pierre-Louis Bazin、1799年3月26日[1] - 1863年)は、フランスの中国学者。とくに元曲の研究者、翻訳者として知られる。
バザンはセーヌ=エ=オワーズ県のモンモランシーに近い Saint-Brice-sous-Bois(今はヴァル=ドワーズ県に属する)に生まれた[2]。弟に皮膚科学者として有名なエルネスト・バザン(フランス語版、1807-1878、バザン硬結性紅斑に名を残す)があり、弟と区別するために「Bazin aîné」(aînéは英語のelderにあたる)と呼ばれることもある。
はじめ法学を専攻したが、コレージュ・ド・フランスでアベル・レミュザ、ついでスタニスラス・ジュリアンに中国学を学んだ。阿片戦争後、中国での外交や貿易が大規模に拡大すると予想されていたため[2]、1843年に東洋言語学校に中国語の講座が設けられ、バザンはその初代教授に就任した。没するまでその地位にあった。
バザンは主にアジア協会の機関誌『Journal Asiatique』に論文を発表し、1852年以来同協会の副書記をつとめた[3]。
バザンは元曲の翻訳で知られる。
『現代の中国』(ギヨーム・ポティエと共著)の第2部で、中国文化全般について記述している。ここにも戯曲に関する詳細な説明がある。
ほかに中国語文法の著書がある。