アントン・フォン・マロン Anton von Maron | |
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自画像 | |
生誕 |
1733年1月8日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死没 |
1808年3月3日 教皇領、ローマ |
アントン・フォン・マロン (ドイツ語: Anton von Maron 1733年1月8日 – 1808年3月3日) は、オーストリア出身でローマで活躍した画家。
ウィーンに生まれた。父親のヨハン・レオポルト・マロン(Johann Leopold Maron:1696–1770)は画家であった。1741年から1744年まで、ウィーン美術アカデミーで学んだ。1755年にローマに移り、アントン・ラファエル・メングスの弟子となり、メングスのスタジオに住んだ。1765年に、メングスの姉で画家でもあるテレーゼ・メングス (1725–1806)と結婚した。
1766年にイタリアの芸術家組合、アカデミア・ディ・サン・ルカの会員となり、主に肖像画を描いた。ローマの芸術家たちと交流し、1772年からウィーン美術アカデミーの再編のために貢献した。ウィーンのアカデミーで選ばれた学生は奨学金を与えられて、マロンにもとに送られるようになった。ウィーンやローマで学生を指導した。
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