アンドリー・イェルマーク | |
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Андрій Борисович Єрмак | |
ウクライナ大統領府長官 | |
就任 2020年2月11日 | |
大統領 | ウォロディミル・ゼレンスキー |
前任者 | アンドリー・ボフダン[1] |
個人情報 | |
生誕 | 1971年11月21日(53歳) ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 キーウ |
国籍 | ウクライナ |
政党 | 無所属 |
教育 | キーウ大学[2] |
職業 | 弁護士、映画プロデューサー |
アンドリー・ボリーサヴィチ・イェルマーク(ウクライナ語: Андрій Борисович Єрмак、1971年11月21日 - )は、ウクライナの映画プロデューサー、弁護士。2020年2月11日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領によりウクライナ大統領府長官に任命された[1]。キーウ出身[2]。報道では「イエルマク長官」などと表記される[3]。
1971年11月21日、当時ソ連だったウクライナのキーウに生まれる[2]。イェルマークの母はロシア生まれで、ユダヤ系ウクライナ人であるイェルマークの父とはレニングラードの学校旅行でキーウを訪れた際に共通の知人を介して知り合い[4][4]、1971年に結婚してキーウに移り住んだ[4]。
1990年にタラス・シェフチェンコ記念キーウ国立大学(キーウ大学)に入学、国際私法の学位を取得して1995年に卒業し[2][4]、同年弁護士資格も取得した[2]。大学2年次に教員からの呼びかけでプロキセン(Proxen)法律事務所での仕事も初めている[4]。
1997年に国際法律事務所を開設し、知的財産権と商法の分野で弁護士業務をはじめた[1]。2006年から2014年までは、弁護士業務の一環としてウクライナ地域党の議員エルブラス・テデエフを補佐した[5][1]。また2010年ウクライナ大統領選挙では、キーウ第216区で候補者アルセニー・ヤツェニュクの代理人を務めた[4]。
2012年、ガーネット・インターナショナル・メディアグループを設立し[6]、映画『Rule of Battle』や『The line』などのプロデューサーを務めた[7]。
後にウクライナ大統領となるウォロディミル・ゼレンスキーとは、ゼレンスキーがTVチャンネルInterのゼネラルプロデューサーをしていた2011年ごろに知り合い[5]、二人は友人となった[5]。
2019年ウクライナ大統領選挙ではイェルマークはゼレンスキーの選挙対策本部に入っている[4]。
大統領となったゼレンスキーは、2019年5月21日にイェルマークを外交担当大統領補佐官に任命[1]。ドンバス戦争中にはイェルマークはロシアとの捕虜交換交渉にあたった[8]。米トランプ大統領のウクライナ疑惑の際は、ゼレンスキーの代理として米ウクライナ特別代表カート・フォルカーおよびルドルフ・ジュリアーニとの連絡窓口となった[9]。
2020年2月11日、ゼレンスキー大統領によりウクライナ大統領府長官に任命される[1]。その翌日にはウクライナ国家安全保障・国防会議のメンバーとなった[10]。
誕生以来、キーウに在住。未婚で子供はいない[4]。8歳年下の弟がいる[4]。
公職 | ||
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先代 アンドリー・ボフダン |
ウクライナ大統領府長官 2020– |
次代 現職 |