アンドレ・ベルソール
アンドレ・ベルソール (André Bellessort、1866年 3月19日 -1942年 1月22日 )は、フランス の作家 、翻訳家 、旅行家 。
フランス西部ラヴァル の学校教師の家に生まれ、アンリ4世校 で学び、1885年 から師範学校試験を受け1889年 に登録される。1896年 までにニース 、ボルドー 、ポワティエ 、ル・マン 、リヨン などのリセ で教師として勤め、リヨンのリセ・デュパルクでエドゥアール・エリオ と知り合う。1906年 にエミール・マール が担当していたリセ・ルイ=ル=グラン における文学準備クラスを引き継ぎ、1926年 まで勤めた。
ベルソールは同時に作家としてのキャリアも積み、古典的な形式の詩を書き、両大戦間期 には文芸評論家 として重きをなした。『ル・タン 』紙の特派員としてチリ 、ボリビア に赴き、『両世界評論 La Revue des Deux Mondes』誌にも記事を寄せた。1895年 には日本に派遣され、ついでスウェーデン へ行きセルマ・ラーゲルレーフ を翻訳することを決定している。1935年にはフランス・アカデミー会員に選ばれた。
ベルソールは1897年 から翌年にかけても日本に滞在しており、京都や奈良の寺院だけではなく大阪の精神病院や九州のハンセン氏病患者の収容所・監獄などを視察している。ベルソールの日本への視線は教師が生徒に向けるのと同じで白人優位の立場を免れないが、日本人がもともと持っている勇気・清潔さ・向上心などの資質も指摘している。彼は政治的には熱烈な王党派 であり、シャルル・モーラス の崇拝者だった。失われつつある過去の栄光・価値を哀惜するベルソールは、古い日本の姿を多く残す薩摩の人びとに最も共感を覚え、西南戦争 については「日本のヴァンデの反乱 」と呼んでいる。西郷隆盛 の周囲に集まっていた反乱者は「まさしく死者であり滅びなければならない人びとであった」と考えながらも、その英雄的精神を誉めたたえた。
彼の日本旅行記(Les Journées et les nuits japonaises)は、永井荷風 も読み『断腸亭日乗 』の昭和11年3月10日の項に『日本日夜の記』として触れられ、現在は『明治滞在日記』として翻訳がある。
『Mythes et poèmes』 (1894年)
『Chanson du Sud』(1896年)
『Reine Cœur』(1896年)
『La Jeune Amérique』(1897年)
『日本の昼と夜 Les Journées et les nuits japonaises』(1900年)
『En Escale (de Ceylan aux Philippines)』(1900年)
『日本社会 La Société japonaise』(1912年)
『スウェーデン La Suède』(1912年)
『聖フランシスコ・ザビエル インドと日本の使徒Saint François-Xavier. L'apôtre des Indes et du Japon』(1917年)
『新しい日本 Le Nouveau Japon』(1918年)
『現代のルーマニア La Roumanie contemporaine』
『バルザック論 Balzac et son œuvre』(1924年)
『サント=ブーヴ Sainte-Beuve et le dix-neuvième siècle』(1927年)
『Sur les grands chemins de la Poésie classique』
『ヴィクトル=ユーゴー Victor Hugo : essai sur son œuvre』(1930年)
『知識人と第三共和政の成立 Les Intellectuels et l'avènement de la Troisième République』(1931年)
『ナポレオン三世治下のフランス社会 La Société française sous Napoléon III』(1932年)
『Athènes et son théâtre』(1934年)
『ヴォルテール論 Essai sur Voltaire, Cours professé à la société des conférences』(1938年)
『聖バルティルド Sainte Bathilde Reine de France』(1941年)
『18世紀とロマン主義 XVIIIe siècle et Romantisme』(1941年)
『Le collège et le monde』(1941年)
『Parmi les âmes étrangères』(1942年)
『ウェルギリウス論 Virgile, son œuvre et son temps』(1943年)