「アンド・ホエン・アイ・ダイ」 | ||||
---|---|---|---|---|
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ の シングル | ||||
初出アルバム『血と汗と涙』 | ||||
B面 | Sometimes in Winter | |||
リリース | ||||
規格 | シングル盤 | |||
録音 | 1968年 | |||
ジャンル | ジャズ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | コロムビア | |||
作詞・作曲 | ローラ・ニーロ | |||
プロデュース | James William Guercio | |||
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ シングル 年表 | ||||
| ||||
「アンド・ホエン・アイ・ダイ」("And When I Die")はアメリカのシンガー・ソングライター、ローラ・ニーロが作詞作曲した曲。この曲は1966年にフォークグループのピーター・ポール&マリーによって録音された。ニーロ自身のバージョンは1967年2月の彼女のデビューアルバム『モア・ザン・ナ・ニュー・ディスカバリー』に収録された。
この曲は1968年後半にジャズ・ロック・グループのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが録音したバージョンが最も広く知られている。このバージョンはアメリカでBillboard Hot 100で2位に達し、ゴールド・ディスクとなった。アメリカではビートルズの両A面シングルの『カム・トゥゲザー / サムシング』によって1位到達を阻止された[1]。「アンド・ホエン・アイ・ダイ」はカナダでは1969年に1位に達した。
この曲は、コーラス部の "And when I die / and when I'm gone / there'll be one child born, in this world / to carry on / to carry on" と言う歌詞で死に対する前向きな態度を示している[2]。
「アンド・ホエン・アイ・ダイ」はニーロが17歳の時に初めて録音した曲の中の一曲である[3]。その後、この曲をフォークグループのピーター・ポール&マリーに5000ドルで売り、[4]、彼らはこの曲を6枚目のスタジオアルバム『ピーター・ポール&マリー・アルバム』に収録した。
この曲はブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのセルフタイトルのセカンドアルバムに収録された。このアルバムからの3枚目のシングルとして発売され、このアルバムからすでに発売された2枚のシングル同様にBillboard Hot 100で2位に到達した。
BS&Tのアレンジは、彼ら以前のバージョンとは全く異なるものだった。この曲はアルバム収録バージョンと、編集されたシングルバージョンとしてリリースされた。アルバムバージョンには2か所のインストゥルメンタルパートがあり、1か所はRMIエレクトラピアノが使用され、もう1か所ではウェスタン・カウボーイ・ソングのように金管楽器とテンプル・ブロックが使用されている。また、コーラスとほかの2つのヴァースの間の一時停止はシングルバージョンよりも長くなってい。
この曲はザ・ヘヴィーによっても録音されている。このバージョンはドラマ『トゥルーブラッド』シーズン4の最後でも使用された。2000年のホラー映画『ファイナル・デスティネーション』の中ではジョー90によっても演奏されている。
アリソン・クラウスとビリー・チャイルズは2014年のアルバム Map to the Treasure: Reimagining Laura Nyro にこの曲のカバーを提供している[5]。
この曲の歌詞の一部が2016年のドラマ『ヴァン・ヘルシング』のシーズン1、エピソード3の最後に、ルキヤ・バーナード演じるドクが治療され、野生化(ゾンビ)状態から人間状態に戻るシーンで歌われている。
チャート(1969年) | 最高順位 |
---|---|
オーストラリア ケント・ミュージック・レポート[6] | 4 |
カナダ RPM トップ・シングル[7] | 1 |
カナダ RPM アダルト・コンテンポラリー[8] | 1 |
ニュージーランド・シングル・チャート | 1 |
アメリカ ビルボード・ホット100[9] | 2 |
アメリカ ビルボード・イージー・リスニング | 4 |