Anna Sidorova | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2010年バンクーバーオリンピックに出場したシドロワ (手前) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロシア語 | Анна Сидорова | |||||||||||||||||||||||||||||||||
出生国 | ロシア | |||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1991年2月6日(33歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170 センチメートル | |||||||||||||||||||||||||||||||||
チーム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
スキップ | アンナ・シードロヴァ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サード | ジュリア・ポルトゥノワ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
セカンド | オルガ・コテルニコワ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リード | ジュリア・グジエワ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リザーブ | ンケイラ・エゼフ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
オリンピック | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
4人制 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
出場大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高成績 | 9位 (2010・2014) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
4人制 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
出場大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高成績 | 銀メダル (2017) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ロシア選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
4人制 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
優勝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アンナ・ヴラジーミロヴナ・シードロヴァ(ロシア語: А́нна Влади́мировна Си́дорова[注 1] 、1991年2月6日 - )は、ロシア連邦の女子カーリング選手である。「シードロヴァ」は「シドロワ」とも表記される[1]。18歳でロシア代表チームのサード(ロシア語では「副将 вице-скип 」とも呼ばれる[2])を務め[3]、2010年バンクーバーオリンピックに出場、正スキップ(主将)のリュドミーラ・プリヴィーフコヴァに代わり数試合でスキップを務めた[4]。また、2014年ソチオリンピックでは、ロシア代表女子カーリングチームのスキップとして出場した[5]。世界カーリング選手権に8回出場、2017年に銀メダルを獲得した[6]。
ソビエト連邦・ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国時代のモスクワ市に生まれた[3]。
6歳から13歳までフィギュアスケートに取り組み、1 級を保有していた。当初は軍中央スポーツクラブ学校で学び、のちに有名な指導者リュボーフィ・フェドルチェンコ (Любови Анатольевны Федорченко) のスタジオで学んだ。しかし、足の怪我が原因で引退[3]。
スポーツなしで悲しむことのないよう考えた知り合いの助言でカーリングに挑戦。2005年から競技を始め、半月後にマスター候補に名を挙げ、世界ジュニアカーリング選手権に参加。最初はモスクワの高等スポーツ技術試験学校「モスクヴィーチ」のカーリングチーム「モスクヴィーチ」でプレーした。スヴェトラーナ・カラルプが、最初のトレーナーとなった[3]。その後、同じくモスクワに本拠地を持つチーム「モスクワ」のメンバーになった。オーリガ・ジャルコーヴァをスキップとするチーム「モスクワ」において、ロシア選手権を2008年 - 2011年まで三期連続で優勝[7]。
2009年、ロシアのカーリング第2チームを編成し好成績を挙げ、2010年1月、主力チームへ招集された。バンクーバーオリンピックの試合ではサードを務め、一部の試合でスキップを務めた。
ロシア国立人文大学に籍を置き、政治史・法史学部で学んだ[3][1]。
参加したチームの成績。
ワールドカーリングツアーにおける最高峰の大会シリーズであるグランドスラムの成績。
略語の説明 | |
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C | 優勝 |
F | 準優勝 |
SF | ベスト4 |
QF | ベスト6・ベスト8 |
R16 | ベスト16 |
Q | 予選敗退 |
T2 | ティア2(2部)出場 |
DNP | 大会不参加 |
N/A | 開催せず |
大会 | 12–13 | 13–14 | 14–15 | 15-16 | 16–17 | 17–18 | 18–19 | 19–20 | 20–21 |
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マスターズ | Q | Q | Q | QF | Q | Q | DNP | DNP | N/A |
ツアーチャレンジ | N/A | N/A | N/A | Q | DNP | T2 | DNP | DNP | N/A |
ナショナル | N/A | N/A | N/A | DNP | QF | DNP | DNP | DNP | N/A |
オープン | N/A | N/A | DNP | QF | Q | DNP | DNP | DNP | N/A |
チャンピオンズカップ | N/A | N/A | N/A | DNP | DNP | DNP | DNP | N/A | DNP |
プレーヤーズ | DNP | QF | DNP | F | Q | DNP | DNP | N/A | DNP |
大会 | 11–12 | 12–13 | 13–14 | 14–15 | 18–19 |
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エリート10 | N/A | N/A | N/A | N/A | DNP |
オータムゴールド | Q | DNP | Q | DNP | N/A |
コロニアルスクエア | N/A | SF | DNP | DNP | N/A |
マニトバ・ロト | DNP | DNP | QF | N/A | N/A |