アーウィン・フリンク・スミス(Erwin Frink Smith、1854年1月21日 – 1927年4月6日)は、アメリカ合衆国の農務省で働いた、植物病理学者である。多くの細菌性の植物の病疫の研究を行った[1][2][3][4][5]。
ニューヨークのフルトン近くのギルバート・ミルズに生まれた。1870年に家族とミシガン州に移住しクリントン・カントリーで農園を開くが、事業は失敗し、ノース・プレーンズ・タウンシップに移った。スミスが高校に入学したのは農園の仕事をしなくてよくなった22歳の時である。多くの書籍を読み、独学で植物学や細菌学を学んだ。1881年に高校在学中に、ホィラー(Charles F. Wheeler)と共著で、ミシガンの植物に関する著書、"Cataloque of the Phaenogamous and Vascular Cryptogamous Plants of Michigan"を出版した。詩を書くのが好きで、いくつかの詩も書いた。
貧しかったので高校を卒業した後、大学へ進まず、ミシガン刑務所の看守となるが、公衆衛生に興味を持ち、細菌学の本を読み始めた。
1885年にミシガン大学に入学した時には、入学のすぐ後に、ほとんどの課程の試験に合格して見せて、一年後には植物学の学士号を得て、植物産業局(Bureau of Plant Industry)の植物病理学主任となった。1889年にミシガン大学の博士号を得た。植物の病気と細菌の研究を行い、1910年に "Bacteria in Relation to Plant Diseases"(「植物病に関する細菌」)を出版した。
オランダからアメリカに渡ってきた、フランク・ニコラス・マイヤーを雇ったことや[6]、多くの女性研究者に植物産業局で研究させたことでも知られる。これらの女性研究者には、ネリー・A・ブラウン(Nellie A. Brown)、ブライヤン(Mary K. Bryan)、ヘッジズ(Florence Hedges)、マッキュロック(Lucia McCulloch)、カーク(Agnes J. Quirk)、ハッセ(Clara Henriette Hasse)らがいた[7][8]。
腸内細菌科の属名、エルウィニア属(Erwinia)に献名されている。