アーサー・ロック Arthur Rock | |
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![]() 2003年1月撮影 | |
生誕 |
1926年8月19日(98歳) ニューヨーク州ロチェスター |
国籍 |
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出身校 |
シラキュース大学(学士, 1948年卒) ハーバード大学(MBA, 1951年卒) |
職業 | ベンチャーキャピタリスト |
著名な実績 | インテルやAppleへの初期投資 |
活動拠点 | シリコンバレー |
肩書き |
インテル 前会長 Apple 前会長 Davis & Rock 創業者 |
配偶者 | Toni Rembe |
アーサー・ロック(英: Arthur Rock、1926年8月19日 - )は、アメリカの実業家、ベンチャーキャピタリスト。シリコンバレーに本拠地を置き、インテル、Apple、フェアチャイルドセミコンダクター、テレダイン、サイエンティフィック・データ・システムズなどの創業初期の投資家として知られる[1]。
1926年にニューヨーク州ロチェスターでユダヤ教徒の家庭に生まれた[2][3][4]。 ロックは一人っ子で、父が小さなキャンディーストアを営んでいたので、若年のころから店で手伝いをした[4]。
第二次世界大戦中にアメリカ陸軍に入隊したが、配属される前に戦争が終わった[4]。 その後、G.I.ビルで大学に進学した[4]。1948年にシラキュース大学で経営学の学士号、1951年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した[5]。
ロックは1951年にニューヨークで証券アナリストとしてキャリアをスタートさせ、その後、ニューヨークのヘイデン・ストーン・アンド・カンパニーの企業金融部門に入り、小規模なハイテク企業の資金調達に力を注いだ[6]。
1957年、「裏切り者の8人」がショックレー半導体研究所を去ったとき、ロックは彼らの行き先を探す手助けをした。シャーマン・フェアチャイルドを説得し、フェアチャイルドセミコンダクターを設立させたのである[7]。
1961年、カリフォルニアに移住。トーマス・J・デイビス・ジュニアとともに、サンフランシスコのベンチャーキャピタルであるハイドン・ストーン投資銀行を設立し[8]、1967年に独立して半導体関連の新興企業を専門とする投資銀行を設立。1968年、独立を模索していたフェアチャイルドセミコンダクターのゴードン・ムーアとロバート・ノイスから新企業の設立を打診され、「NMエレクトロニクス」(後のインテル)の設立を支援してインテルの会長に就任後もベンチャーキャピタリストとして新興企業への投資を続けた。
ロックは、1980年代半ばにスティーブ・ジョブズが追放された際、アップル社の役員を務めていた[9]。
2003年、ハーバード・ビジネス・スクールに2500万ドルを寄付し、Arthur Rock Center for Entrepreneurshipを設立した[6]。
ロックはシリコンバレーの歴史を語るうえで欠かせない人物となっている。