アーマ・フランクリン Erma Franklin | |
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出生名 | Erma Vernice Franklin |
生誕 |
1938年3月13日 ミシシッピ州シェルビー |
出身地 | ミシガン州デトロイト |
死没 |
ミシガン州デトロイト |
ジャンル | ゴスペル、R&B |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1958年 – 2002年 |
共同作業者 | アレサ・フランクリン、キャロリン・フランクリン |
公式サイト | ermafranklin.com |
アーマ・フランクリン(Erma Franklin、1938年3月13日 – 2002年9月7日)は、アメリカ合衆国のゴスペル歌手。フランクリンは、母バーバラ(旧姓シガーズ)(Barbara (née Siggers))と、父C・L・フランクリン (C. L. Franklin)師の間の最初の子どもであり、アレサ・フランクリンの姉である。最も有名な録音は、バート・バーンズ(Bert Berns)の作・プロデュースによる「心のかけら(Piece of My Heart)」のオリジナル版であり、これによってフランクリンは1968年のグラミー賞で新人賞にノミネートされている[1]。
アーマ・ヴァーニス・フランクリン(Erma Vernice Franklin)は、ミシシッピ州シェルビー(Shelby, Mississippi)に生まれ[2]、後に父が主任牧師となった New Bethel Baptist Church のあるデトロイトに育った[1]。10歳までは両親のもとで育てられたが、両親の離婚により、母はアーマの一番上の兄弟であり異父兄だったヴォーン(Vaughn)を連れて、1948年にニューヨーク州バッファローへ去った。 4年後、母バーバラ・シガーズ・フランクリンは、1952年3月7日にバッファローで没した。
子どものころのアーマや妹たち、アレサとキャロリン(Carolyn)は、父の教会で歌を歌っていた。後年、アレサは長じて歌手となり、アーマはバック・ボーカルに回って、アレサと一緒にツアーに出るようになった。バックで歌うアーマの歌声は、アレサの代表曲「Respect」などで聞かれる[3]。アーマ自身のソロ・レコーディングは、不運が重なり上手くいかず、アーマのハスキーな声を活かせる楽曲をレーベルは用意できなかった。アーマは1970年代半ばに音楽業界を離れ、時折アレサの手伝いをするだけになった。[要出典]
アーマ・フランクリンは、トマス・ギャレット(Thomas Garrett)と結婚し、1960年代初めに2人の子ども、トマスJr.(Thomas Jr.)とサブリナ(Sabrina)を産んだ。その後、ホームレスや、不利な状況におかれているマイノリティの子どもを支援する the Boysville Holy Cross Community Center で働くようになった。2002年春には喉頭がんに冒され、その数か月後にデトロイトで没した。64歳であった[3][4]。
兄弟姉妹である、アレサ、ヴォーン、カール・エレン・ケリー(父とミルドレッド・ジェニングス(Mildred Jennings)の間に生まれた弟)に加え、2人の子ども(Sabrina Garrett, Thomas Garrett Jr.)が後に残された。アーマ・フランクリンは、デトロイトの North Woodward Avenue にある歴史的な墓地 Woodlawn Cemetery に埋葬された。