イエンバイ蜂起 | |||||||
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1947年まで使用されたベトナム革命軍の軍旗。赤は革命への奮闘を、黄色はベトナム国家のために決起することを表している。 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
ベトナム国民党 | |||||||
指揮官 | |||||||
グエン・タイ・ホック[1] | 仏領インドシナ司令官[1] | ||||||
戦力 | |||||||
~100[1] | ~600[1] | ||||||
被害者数 | |||||||
死傷者数不明 13名がのちに処刑[1] |
フランス人将校2名と下士官3名が死亡、下士官3名が負傷、and 3 French NCOs dead 3 French NCOs wounded フランス軍のベトナム人兵士の犠牲者数は不明 [1] |
イエンバイ蜂起(いえんばいほうき、ベトナム語: Khởi nghĩa Yên Bái/起義安沛)は、グエン・タイ・ホックが1927年結党したベトナム国民党が1930年2月当時はフランスの統治下にあったベトナム北部の各地で起こした武装蜂起である。
2月9日夜半にイエンバイの兵営で党員兵士が決起したのを皮切りに、10日夜には外部からのフンホア兵営への攻撃、ハノイでの投弾活動、更に15日にはハイズオン、タイビン両省での義勇軍の蜂起が行われたものの散発的なままに終わり、植民地政庁により速やかに鎮圧された。
党首たるグエン・タイ・ホックは同志12人と共にイェンバイ臨時法廷で判決を受け、6月に刑に処された[2]。