イデスリー伯爵 Earldom of Iddesleigh | |
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Arms of Northcote: Argent, three crosses crosslet in bend sable. Crest: On a chapeau gules turned up Ermine a stag trippant argent. Supporters: On either side a stag proper suspended from the neck by a chain or an escutcheon ermine charged with a pine cone or.
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創設時期 | 1885年7月3日 |
創設者 | ヴィクトリア |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯スタフォード・ノースコート |
現所有者 | 5代伯ジョン・ノースコート |
相続人 | セント・サイルス子爵トマス・ノースコート |
相続資格 | 初代伯の直系嫡出男子 |
付随称号 | セント・サイルス子爵 (ハインの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 十字架の印こそ我が希望 (CHRISTI CRUX EST MEA LUX) |
イデスリー伯爵(英語: Earl of Iddesleigh)は、イギリスの伯爵位。連合王国貴族。第8代準男爵サー・スタッフォード・ノースコートが1885年に叙されたのに始まる。
デヴォンのシェリフで庶民院議員も務めるジョン・ノースコート(1600–1676)は、1641年7月16日にイングランド準男爵位デヴォン州ヘインのノースコート準男爵(Baronet, of Haine in the county of Devon)に叙された[1]。これがノースコート家が受けた最初の世襲称号だった。
その仍孫である8代準男爵サー・スタッフォード・ノースコート(1818–1887)は、庶民院保守党の指導者となり、第1次ソールズベリー侯爵内閣では第一大蔵卿、第2次ソールズベリー侯爵内閣では外務大臣を務めた。彼は1885年7月3日には連合王国貴族デヴォン州セント・サイルスにおけるニュートンのセント・サイルス子爵(Viscount St Cyres, of Newton St Cyres in the County of Devon)とイデスリー伯爵(Earl of Iddesleigh)に叙せられた[2]。
これらの爵位はその男系男子によって現在まで継承されている。現在の当主は5代伯ジョン・スタッフォード・ノースコート(1957-)である。
一族の本邸はデヴォン・エクセターのヘイン(Hayne)である。
現当主である第5代イデスリー伯爵ジョン・スタッフォード・ノースコートは、以下の爵位を保有している[3]。
法定推定相続人は、現当主の一人息子のセント・サイルス子爵(儀礼称号)トマス・スタッフォード・ノースコート (1985-)