マニンガム・ブラー女男爵 イライザ・マニンガム=ブラー Eliza Manningham-Buller Baroness Manningham-Buller | |
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2016年のマニンガム・ブラー女男爵 | |
生年月日 | 1948年7月14日(76歳) |
出身校 | オックスフォード大学レディ・マーガレット・ホール |
所属政党 | 中立派 |
称号 | マニンガム・ブラー女男爵、ガーター勲章勲爵士(LG)、バス勲章デイム・コマンダー(DCB) |
親族 |
第3代準男爵サー・マーヴィン(祖父) 初代ディルホーン子爵レジナルド(父) |
在任期間 | 2002年10月 - 2007年4月 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 2008年6月 - 現職 |
マニンガム=ブラー女男爵、エリザベス・リディア・「イライザ」・マニンガム=ブラー(英: Elizabeth Lydia "Eliza" Manningham-Buller, Baroness Manningham-Buller, LG, DCB、1948年7月14日 - )は、イギリスの官僚、政治家。
2002年から2007年にかけてMI5長官を務めた。2008年に一代貴族「マニンガム・ブラー女男爵」に叙され、現在は貴族院議員を務めている。
1948年7月14日、マニンガム=ブラー準男爵家の嫡男で保守党の政治家であるレジナルド・マニンガム=ブラー(後の初代ディルホーン子爵)とその妻メアリー・リリアン(第27代クロウフォード伯爵デイヴィッド・リンジーの娘)の間の次女として生まれる[1]。
父レジナルドは1956年に祖父マーヴィンから第4代準男爵位を継承し、政界では保守党の庶民院議員として活躍し、1962年に大法官に就任した際に初代ディルホーン男爵に叙せられて連合王国貴族となり、さらに1964年には初代ディルホーン子爵に叙せられた人物である[1]。
ベネンデン・スクールを経て、オックスフォード大学レディ・マーガレット・ホールで学ぶ。1974年にMI5に入省する前、3年間、ロンドンのクイーンズ・ゲイト・スクール(Queen's Gate school)で教師として働いていた[2]。当初、対ソ防諜を専門とし、ゴルジエフスキー事件にも関係した。後に対テロ部門に異動。ロッカビー事件時、対テロ局長であり、後に連絡幹部としてワシントンに駐在した[2]。
1992年、アイルランド人テロ対策の機能がMI5主管となった。1997年、MI5副長官(外部監視・盗聴担当)に任命された[2]。
2002年10月から2007年4月までMI5の長官(Director General)を務めた[2]。2005年の女王誕生日の記念にバス勲章デイム・コマンダー(DCB)に叙せられた[2]。
MI5長官退任後の2008年6月に一代貴族「ノーサンプトンシャー・カウンティにおけるノーサンプトンのマニンガム・ブラー女男爵」(Baroness Manningham-Buller, of Northampton in the County of Northamptonshire)に叙され、貴族院議員に列した[3][4]。貴族院内では中立派の議員である[4]。
2014年4月23日、女王エリザベス2世よりガーター勲章勲爵士(LG)に叙せられた[5]。
官職 | ||
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先代 サー・スティーブン・ランダー |
MI5長官 2002年 - 2007年 |
次代 ジョナサン・エヴァンズ |