インディペンデント・サブウェイ・システム Independent Subway System | |||
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基本情報 | |||
所有者 | ニューヨーク市 | ||
運営者 | ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ | ||
車両基地 | コンコース、ジャマイカ、ピトキン、207丁目 | ||
使用車両 | R32、R46、R68、R68A、R160 | ||
路線諸元 | |||
軌間 | 4 ft 8+1⁄2 in (1,435 mm) | ||
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インディペンデント・サブウェイ・システム(英: Independent Subway System)、略称INDまたはISS、かつてはインディペンデント・シティオウンド・サブウェイ・システム、(英: Independent City-Owned Subway System)、略称ICOS、あるいはインディペンデント・シティオウンド・ラピッド・トランジット、(英: Independent City-Owned Rapid Transit Railroad[1])は、現在のニューヨーク市地下鉄の一部となった、かつてのニューヨークの都市鉄道網である[2]。最初の路線は、マンハッタンに1932年にIND8番街線として建設された[3]。
INDは、現在のニューヨーク市地下鉄を形成することになった3つの鉄道網のうちの1つで、民間企業あるいは共同出資による運営であったインターボロー・ラピッド・トランジット (IRT) とブルックリン・マンハッタン・トランジット (BMT) と異なり、ニューヨーク市政府が完全に所有し運営する意図で設立された。IRTおよびBMTと1940年に統合された[1]。
もともとINDが運行していた系統は、現代の地下鉄網ではA、B、C、D、E、F、Gの各系統となっている。これに加えて、BMTのMとR系統は、現在では一部でINDの線路を走っている。ロッカウェイ・パーク・シャトルはA系統を補完している。運行上は、INDとBMTの路線網および列車は、合わせてBディビジョンと呼ばれている[1]。
1940年まで、インディペンデント・シティオウンド・サブウェイ・システム、インディペンデント・サブウェイ・システムあるいはインディペンデント・シティオウンド・ラピット・トランジット・レールロードなどと呼ばれていた。1940年の地下鉄網統合後にINDと呼ばれるようになった。このINDという名称は、IRTとBMTが使っていた3文字略語に合わせて設定された[1]。
INDで最初の路線は、1932年9月10日にマンハッタンで開通したIND8番街線であり、それからしばらくの間鉄道網全体が8番街地下鉄と呼ばれていた。本来のINDの鉄道網は全線にわたって地下であったが、ブルックリン区のゴワーナスにあるゴワーナス運河をINDカルバー線が越える2駅間だけが例外である[1]。
1920年代初頭、ニューヨーク市長のジョン・フランシス・ハイランは、BMTやIRTが運行している都市鉄道、特にその高架鉄道に対抗する、市が所有し運営する都市鉄道の路線網を提案した[4][5]。過密となっていた地下鉄の混雑を緩和するために、1921年にニューヨーク市交通委員会が設置された。当初の計画は以下のようなものであった[1]。
これらの路線網は、計画通りに完全に建設された。カルバー線については、ゴワーナス運河を越える短区間以外は地下である[1]。
1932年9月10日、IND8番街線が207丁目駅からチェンバース・ストリート駅まで開通し、INDが創業した。1933年2月にはクランベリー・ストリートトンネルが開通し、8番街線もチェンバース・ストリートからボロー・ホール駅まで開通した。北側では、ブロンクス区において1933年7月1日にINDコンコース線が205丁目駅から145丁目駅まで開通した[3]。INDが開業した時点では、IRTは地下鉄用車両2,281両、高架鉄道用車両1,694両、BMTは2,472両を有していたが、INDはかなり少ない300両しか有していなかった[1]。
新設されたIND8番街線の建設には、100万立方ヤード(約76万5000立方メートル)に及ぶコンクリートと、15万米トン(約14万メートルトン)の鋼鉄が使用された。新線の道床は、30年間保つとされていた[1]。路線の開業時点では、INDの他の路線網は建設中であり、その中には5本の水底トンネルもあった[1]。
IND8番街線開業の初日には、ニューヨーク北部の一部の駅で、自動改札機(ターンスタイル)のトークン投入口をチューインガムか何かで塞いでしまうといった、ヴァンダリズム行為が行われた。IND開業の2か月後には、96丁目駅と103丁目駅の、95丁目、97丁目、105丁目への3か所の出口が盗難問題によって撤去された[1]。
1932年10月に、INDクイーンズ・ブールバード線がジャクソン・ハイツ-ルーズベルト・アベニュー駅からIND8番街線にある50丁目駅の低層階まで開業し、マンハッタンにある各路線とクイーンズを連絡した。クイーンズでは、クイーンズ・プラザ駅 からナッソー・アベニュー駅まで、INDクロスタウン線が開通した[1]。
1933年10月7日にはジェイ・ストリート駅からチャーチ・アベニュー駅まで、INDカルバー線が開通した[1][6]。
1936年1月1日、IND6番街線が西4丁目駅でIND8番街線から分岐して、イースト・ブロードウェイ駅まで開通した[7][8][9]。建設中に、6番街の路面電車の運行が廃止された。地下鉄の完成後、ニューヨーク市としては路面電車を復旧するかすぐに廃止するかの選択ができた。ニューヨーク市としては、6番街に運行されていた高架鉄道であるIRT6番街線をすぐに撤去したい意向があり、またその地下に地下鉄を建設している間に高架鉄道を支えておく費用を節約したかったこともあり、1250万ドルで高架鉄道を買収した上で1938年12月5日に廃止し、高架鉄道の鋼鉄は日本へ売却された。その2年後の1940年12月15日に地下鉄で普通列車の運行が開始されたが、急行の運転開始はクリスティー・ストリート連絡線が開通した後の1968年になってからであった[1]。
1936年4月9日にコート・ストリート駅からロッカウェイ・アベニュー駅まで、INDフルトン・ストリート線が開通し、合わせてジェイ・ストリート駅への連絡線も開通した。6番街線とラトガース・ストリート・トンネルがイースト・ブロードウェイ駅からジェイ・ストリート駅まで開通した[1][7]。
1936年12月31日に、クイーンズ・ブールバード線がルーズベルト・アベニュー駅からキュー・ガーデン-ユニオン・ターンパイク駅まで延長された。1937年にはさらに169丁目駅まで延長された[1][10]。
1937年7月1日には、INDクロスタウン線がナッソー・アベニュー駅からバーゲン・ストリート駅まで開通した[1]。
ハイラン市長は、IND最初の路線が完成する以前の1922年の時点で、実際に建設されることのなかった路線を提案している。そうした路線には以下のようなものがあった[1]。
INDの大規模拡張は、1929年に初めて計画された[11]。マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスにおいて100マイル(約160キロメートル)以上の路線を建設し、既存のINDの路線と統合し、交差し、延長するものであった。この拡大計画により、既存のIRT、BMT、INDの路線網と組み合わせることで、これらの4つの区に住むどの人にとっても、自宅から半マイル(約800メートル)以内に地下鉄が運行されることになるとされていた[11]。買収や設備購入の費用も含めて、建設費用は4億3800万ドルと見積もられていた。第1段階の全線の建設費は3億3800万ドルであった。この計画が公表されて間もなく、ウォール街大暴落が起きて世界恐慌が始まり、一夜にしてこの計画は歴史上のものとなった[11]。様々な形で拡張計画が1939年[1]、1940年[12]、1951年[13]、1968年[14][15]、そして1998年[16]と何度も再浮上したが、実現することはなかった。この拡張計画は、INDが大規模な高架鉄道の建設を計画した時期でもあった[1]。
この計画の主要部の1つであるIND2番街線は、2017年現在、63丁目と105丁目の間で運行中である[17]。
1940年の3鉄道事業者統合以降に建設された延長線・連絡線を以下に示す。
既存のIRTやBMTの路線と並行する多くのIND路線が計画されていた。
これに加えて、実際に建設されなかった路線には以下の目的があった。
当初から設計されていたように、INDの列車の運行系統の識別方式は、3つの要素に基づく枠組みとなっていた。マンハッタンで走る幹線の別(8番街線または6番街線)、北側で走る支線の別(ワシントン・ハイツ、グランド・コンコース/ブロンクスまたはクイーンズ・ブールバード)、そして急行または各停の別である。8番街線を通る系統はA、C、Eであり、6番街線はB、D、Fである。AとBはワシントン・ハイツへ、CとDはグランド・コンコースへ、EとFは53丁目トンネル経由でクイーンズ・ブールバードへ直通する。系統記号1文字は急行運転で、系統記号2文字は各停運転である。これに加えて、G系統はブルックリンとクイーンズを結ぶクロスタウン線、H系統はフルトン・ストリート線内を走り、マンハッタンと直通しない列車に使われた[18]。
当初の系統記号は以下の通りである。
A | AA | 8番街線 - ワシントン・ハイツ |
BB | 6番街線 - ワシントン・ハイツ | |
C | CC | 8番街線 - コンコース |
D | 6番街線 - コンコース | |
E | 8番街線 - クイーンズ・ブールバード | |
F | 6番街線 - クイーンズ・ブールバード | |
G | GG | ブルックリン - クイーンズ クロスタウン線 |
HH | フルトン・ストリート線 | |
S | 臨時 |
ほぼすべての系統記号が、定期列車としてあるいは臨時列車として使われていた[1]。1文字のG系統は、1939年のINDワールズ・フェア線に使われた。
クリスティー・ストリート連絡線開通以前の最後の時期の系統記号は以下の通りである。以下の表で示す終点は、各系統のうちもっとも遠くまで達する地点である[18]。
路線 | 走行区間 | 備考 | |
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A | ワシントン・ハイツ急行 | 207丁目駅 – ルファーツ・ブールバード駅あるいはファー・ロッカウェイ-モット・アベニュー駅 あるいは ロッカウェイ・パーク駅(IND8番街線経由) | なお運行されている。 |
AA | ワシントン・ハイツ各停 | 168丁目駅 – ハドソン・ターミナル駅(IND8番街線経由) | 後にK系統となったが、運行されなくなった。 |
BB | ワシントン・ハイツ各停 | 168丁目駅 – 34丁目-ヘラルド・スクエア駅(IND6番街線) | B系統となり、ベッドフォード・パーク・ブールバード駅からブライトン・ビーチ駅までの運行となった。 |
C | ブロンクス・コンコース急行 | ノーウッド-205丁目駅 – ユーティカ・アベニュー駅(IND8番街線経由) | 既に運行されておらず、A系統およびD系統に統合された。 |
CC | ブロンクス・コンコース各停 | ベッドフォード・パーク・ブールバード駅 – ハドソン・ターミナル駅(IND8番街線経由) | C系統となり、168丁目駅からユークリッド・アベニュー駅までの運行となった。 |
D | ブロンクス・コンコース急行 | ノーウッド-205丁目駅 – コニー・アイランド-スティルウェル・アベニュー駅(IND6番街線およびINDカルバー線経由) | なお運行されているが、BMTウェストエンド線経由となった。 |
E | クイーンズ-マンハッタン急行 | 179丁目駅 – ロッカウェイ・パーク駅あるいはハドソン・ターミナル駅(IND8番街線およびIND6番街線経由) | なお運行されているが、ジャマイカ・センター駅からハドソン・ターミナル駅(現在はワールド・トレード・センター駅となっている)まで運行されている。 |
F | クイーンズ・マンハッタン急行 | 179丁目駅 – ハドソン・ターミナル駅あるいはコニー・アイランド-スティルウェル・アベニュー駅(IND6番街線経由) | なお運行されているが、すべての列車がコニー・アイランド駅かキングス・ハイウェイ駅まで行くようになった。 |
GG | クイーンズ・ブルックリン各停 | フォレスト・ヒルズ駅 – チャーチ・アベニュー駅(INDクロスタウン線) | G系統となったが、すべての列車がコート・スクエア駅で折り返しとなった。 |
HH | コート・ストリートシャトル | コート・ストリート駅 - ホイト-スカーマーホーン・ストリーツ駅 | 既に運行されていない、かつてのコート・ストリート駅はニューヨーク交通博物館となっており、列車を出し入れするために線路が使われている。 |
HH | ロッカウェイ各停 | ユークリッド・アベニュー駅 – ロッカウェイ・パーク駅あるいはファー・ロッカウェイ-モット・アベニュー駅 | H系統となり、その後ロッカウェイ・パークシャトル(S系統)となったが、すべての列車がロッカウェイ・パーク止まりとなった。 |
クリスティー・ストリート連絡線が開通した後は、当初のINDの系統記号の枠組みは次第に撤廃されていった。各停・急行にかかわらず、すべての系統で1文字となり、8番街線と6番街線の区別(A・C・E/B・D・F)のみが残っている[1]。
INDの路線は、IRTやBMTよりも長いプラットホームを持って建設された。当初の計画では、各駅は660フィート(約200メートル)の長さのプラットホームをもち、60フィート(約18メートル)の長さの車両の11両編成の列車を停車できるようにすることになっていた。しかしプラットホーム長は短縮され、IND8番街線の72丁目駅から163丁目-アムステルダム・アベニュー駅の間の各駅は600フィート(約180メートル)の長さとなった。2か所の例外があり、1940年代以降に建設されたINDの路線の標準長として、96丁目駅はどちらの階層でも615フィート(約187メートル)となった。また81丁目-自然史博物館駅は、北行のプラットホームは630フィート(約190メートル)で、南行のプラットホームは615フィート(約187メートル)であった。600フィート(約180メートル)ちょうどの長さのプラットホームは、INDクイーンズ・ブールバード線のエルムハースト・アベニュー駅から67番街駅の間にもある[1]。
一方でIND6番街線の駅の中には、ずっと長いプラットホームをもつものがある。34丁目-ヘラルド・スクエア駅の北行プラットホームは当初745フィート(約227メートル)の長さがあり、60フィート長の車両の12両編成を止めることができ、また南行プラットホームは当初は685フィート(約209メートル)の長さがあった。6番街線23丁目駅の双方のプラットホームは670フィート(約200メートル)の長さで、47丁目-50丁目-ロックフェラー・センター駅は665フィート(約203メートル)の長さであった[1]。
INDの第2次拡張計画の路線網では、計画されていた各駅は700フィート(約210メートル)から720フィート(約220メートル)の長さのプラットホームとなっており、また駅に備えられるタイルを使った美術作品は、よりモダンなものとなる予定であった[1]。