サッカーにおいて、インヴィンシブルズ(The Invincibles、無敵の者達)は、無敗優勝を達成したチームの称号としてよく使われる言葉である。後述の通り、インヴィンシブルズと呼ばれたチームは歴史上複数存在するが、一般的にはアーセン・ヴェンゲル監督の指揮の下、2003-04シーズンにプレミアリーグ無敗優勝を達成したアーセナルFCを指すことが多い[1][2]。
歴史上、最初にインヴィンシブルズの称号を手に入れたのはウィリアム・サッデル監督指揮するプレストン・ノースエンドFCである[1]。プレストンは1888-89シーズンのフットボールリーグおよびFAカップで無敗優勝を達成した[注 1]。 リーグ戦成績は22試合で18勝4分0敗、FAカップでは5戦全勝無失点を記録。無敗記録は翌1889-90シーズンのリーグ戦第2節のアストン・ヴィラ戦を3-5で敗れるまで継続した[3]。
2008年、クラブは無敗優勝した当時のチームに敬意を表して、「インヴィンシブルズ・パビリオン」と名付けられた5000人収容の新スタンドを建設した[4]。
1888-89シーズンのフットボールリーグ及びFAカップに出場したメンバーは以下の通り。
選手名 | Pos. | 出場試合数 | 得点数 |
---|---|---|---|
フレッド・デューハースト (ENG) | FW | 21 | 13 |
ジョージ・ドラモンド (SCO) | HB(MF) | 16 | 1 |
ジャック・エドワーズ (ENG) | FW | 4 | 3 |
アーチ・グッダル (IRE) | FW | 2 | 1 |
ジョン・グッダル (ENG) | FW | 26 | 22 |
ジャック・ゴードン (SCO) | FW | 25 | 11 |
ジョニー・グレアム (SCO) | HB(MF) | 26 | 0 |
ウィリー・グラハム (SCO) | HB(MF) | 5 | 0 |
ボブ・ホルムス (ENG) | FB(DF) | 26 | 1 |
ボブ・ホワース (ENG) | FB(DF) | 23 | 0 |
ジョック・イングリス (SCO) | FW | 1 | 1 |
ロバート・ミルズ=ロバーツ (WAL) | GK | 7 | 0 |
サンディ・ロバートソン (SCO) | HB(MF) | 22 | 3 |
ジミー・ロス (SCO) | FW | 26 | 21 |
デビッド・ラッセル (SCO) | HB(MF) | 26 | 19 |
サミー・トムソン (SCO) | FW | 21 | 6 |
ジェイムズ・トレイナー (WAL) | GK | 20 | 0 |
リチャード・ウィトル (ENG) | FB(DF) | 1 | 1 |
No. | 開催日 | 対戦チーム | 会場 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1 | 1888年9月8日 | バーンリーFC | H | 5–2 |
2 | 1888年9月15日 | ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC | A | 4–0 |
3 | 1888年9月22日 | ボルトン・ワンダラーズFC | H | 3–1 |
4 | 1888年9月29日 | ダービー・カウンティFC | A | 3–2 |
5 | 1888年10月6日 | ストーク・シティFC | H | 7–0 |
6 | 1888年10月13日 | ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC | H | 3–0 |
7 | 1888年10月20日 | アクリントンFC | A | 0–0 |
8 | 1888年10月27日 | ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC | H | 5–2 |
9 | 1888年11月3日 | ノッツ・カウンティFC | A | 7–0 |
10 | 1888年11月10日 | アストン・ヴィラFC | H | 1–1 |
11 | 1888年11月12日 | ストーク・シティFC | A | 3–0 |
12 | 1888年11月17日 | アクリントンFC | H | 2–0 |
13 | 1888年11月24日 | ボルトン・ワンダラーズFC | A | 5–2 |
14 | 1888年12月8日 | ダービー・カウンティFC | H | 5–0 |
15 | 1888年12月15日 | バーンリーFC | A | 2–2 |
16 | 1888年12月22日 | エヴァートンFC | H | 3–0 |
17 | 1888年12月26日 | ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC | A | 5–0 |
18 | 1888年12月29日 | ブラックバーン・ローヴァーズFC | H | 1–0 |
19 | 1889年1月5日 | ノッツ・カウンティFC | H | 4–1 |
20 | 1889年1月12日 | ブラックバーン・ローヴァーズFC | A | 2–2 |
21 | 1889年1月19日 | エヴァートンFC | A | 2–0 |
22 | 1889年2月9日 | アストン・ヴィラFC | A | 2–0 |
ラウンド | 開催日 | 対戦チーム | 会場 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1 | 1889年2月2日 | ブートルFC | A | 3–0 |
2 | 1889年2月16日 | グリムズビー・タウンFC | A | 2–0 |
3 | 1889年3月2日 | バーミンガム・セントジョージズFC | H | 2–0 |
準決勝 | 1889年3月16日 | ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC | N | 1–0 |
決勝 | 1889年3月30日 | ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC | N | 3–0 |
2002年5月、アーセナルFCはプレミアリーグの試合でマンチェスター・ユナイテッドFCに勝利しプレストンの連続無敗記録に並んだ。翌2002–03シーズンも好調を維持し、開幕戦のリーズ・ユナイテッドAFC戦でリーグ新記録となる47試合連続得点とアウェーでの22試合連続無敗を達成した[6]。2002年10月、アーセナルはエヴァートンFCに敗れ無敗記録はストップした[7]。2003年3月までリーグ首位を走っていたが、最終的にマンチェスター・ユナイテッドFCに逆転され優勝をさらわれた[8]。
2003-04シーズン前、ロマン・アブラモヴィッチを新オーナーに迎えたチェルシーFCや前年度リーグ王者のマンチェスター・ユナイテッドFCと比べ、アーセナルは新スタジアム建設に伴う財政的な制約から、比較的静かなオフを過ごした[9]。ゴールキーパーのイェンス・レーマンを獲得した以外はアカデミーからガエル・クリシーとフィリップ・センデロスをトップチームに昇格させるに留まり、冬のウインドーでもホセ・アントニオ・レジェスを獲得したのみだった。
2003–04シーズン、プレミアリーグ38試合を26勝12分で終え、プレストン以来となる無敗優勝を達成した。この38試合の中にはいわゆるオールド・トラッフォードの戦いも含まれている。2004年4月に開催されたトッテナム・ホットスパーFCとのノース・ロンドン・ダービーで引き分けたことで優勝が確定した。プレストンとは違ってカップ戦では無敗を継続できず、フットボールリーグカップは準決勝でミドルズブラFCに敗れ、FAカップは同じく準決勝でマンチェスター・ユナイテッドFCに敗れた。UEFAチャンピオンズリーグは準々決勝でチェルシーに敗れた[10]。2003-04シーズンの無敗優勝達成を称え、特別に黄金の優勝トロフィーが贈られた[11]。
2004–05シーズン、ミドルズブラFC戦に勝利したことでノッティンガム・フォレストFCが所持していた42試合の無敗記録に並んだ[12]。そして次節のブラックバーン・ローヴァーズFCに勝利したことで記録を更新した[13]。最終的に49試合まで無敗記録を伸ばしたが、50戦目のマンチェスター・ユナイテッドFC戦(いわゆるバフェットの戦い)に敗れストップした[14]。
2003-04シーズンの基本フォーメーション(4-4-1-1) |
パトリック・ヴィエラ、デニス・ベルカンプ、マーティン・キーオン、レイ・パーラーの4名は1997-98シーズンのダブル達成時も在籍していた。右サイドバックおよび守備的ミッドフィールダーが本職のコロ・トゥーレはソル・キャンベルとセンターバックのコンビを組んだ。ローレン・エタメ・マイヤーはマヨルカではミッドフィールダーでプレーしていたが、アーセナル移籍後右サイドバックにポジションを移した。左サイドバックはアカデミー育ちの新鋭アシュリー・コールが抜擢された。中盤はジウベルト・シウバがキャプテンのヴィエラとコンビを組み、フレドリック・ユングベリとロベール・ピレスがサイドを担当した。攻撃の中核はティエリ・アンリが担い、ベルカンプがサポート役に回った。
フォーメーションはアンリとベルカンプがツートップを組む4-4-2、または縦並びになる4-4-1-1。ジャーナリストのマイケル・コックスは、「このチームの強みは左サイドの攻撃にあり、このためマークが薄くなる右サイドではローレンやリュングベリがスペースを見つけクロスを送ることが出来た。また、カウンター攻撃に長けており、トッテナム戦やリーズ戦にそれがよく現れている。」と分析している[15]。
No. | 開催日 | 対戦チーム | 会場 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1 | 2003年8月15日 | エヴァートンFC | H | 2–1 |
2 | 2003年8月24日 | ミドルズブラFC | A | 4–0 |
3 | 2003年8月27日 | アストン・ヴィラFC | H | 2–0 |
4 | 2003年8月31日 | マンチェスター・シティFC | A | 2–1 |
5 | 2003年9月13日 | ポーツマスFC | H | 1–1 |
6 | 2003年9月21日 | マンチェスター・ユナイテッドFC | A | 0–0 |
7 | 2003年9月26日 | ニューカッスル・ユナイテッドFC | H | 3–2 |
8 | 2003年10月4日 | リヴァプールFC | A | 2–1 |
9 | 2003年10月18日 | チェルシーFC | H | 2–1 |
10 | 2003年10月26日 | チャールトン・アスレティックFC | A | 1–1 |
11 | 2003年11月1日 | リーズ・ユナイテッドAFC | A | 4–1 |
12 | 2003年11月8日 | トッテナム・ホットスパーFC | H | 2–1 |
13 | 2003年11月22日 | バーミンガム・シティFC | A | 3–0 |
14 | 2003年11月30日 | フラムFC | H | 0–0 |
15 | 2003年12月6日 | レスター・シティFC | A | 1–1 |
16 | 2003年12月14日 | ブラックバーン・ローヴァーズFC | H | 1–0 |
17 | 2003年12月20日 | ボルトン・ワンダラーズFC | A | 1–1 |
18 | 2003年12月26日 | ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC | H | 3–0 |
19 | 2003年12月29日 | サウサンプトンFC | A | 1–0 |
20 | 2004年1月7日 | エヴァートンFC | A | 1–1 |
21 | 2004年1月10日 | ミドルズブラFC | H | 4–1 |
22 | 2004年1月18日 | アストン・ヴィラFC | A | 2–0 |
23 | 2004年2月1日 | マンチェスター・シティFC | H | 2–1 |
24 | 2004年2月7日 | ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC | A | 3–1 |
25 | 2004年2月10日 | サウサンプトンFC | H | 2–0 |
26 | 2004年2月21日 | チェルシーFC | A | 2–1 |
27 | 2004年2月28日 | チャールトン・アスレティックFC | H | 2–1 |
28 | 2004年3月13日 | ブラックバーン・ローヴァーズFC | A | 2–0 |
29 | 2004年3月20日 | ボルトン・ワンダラーズFC | H | 2–1 |
30 | 2004年3月28日 | マンチェスター・ユナイテッドFC | H | 1–1 |
31 | 2004年4月9日 | リヴァプールFC | H | 4–2 |
32 | 2004年4月11日 | ニューカッスル・ユナイテッドFC | A | 0–0 |
33 | 2004年4月16日 | リーズ・ユナイテッドAFC | H | 5–0 |
34 | 2004年4月25日 | トッテナム・ホットスパーFC | A | 2–2 |
35 | 2004年5月1日 | バーミンガム・シティFC | H | 0–0 |
36 | 2004年5月4日 | ポーツマスFC | A | 1–1 |
37 | 2004年5月9日 | フラムFC | A | 1–0 |
38 | 2004年5月15日 | レスター・シティFC | H | 2–1 |
2016–17シーズン、ブレンダン・ロジャース監督率いるセルティックFCはスコティッシュ・プレミアリーグおよびスコティッシュ・カップ、スコティッシュリーグカップにおいて47試合連続無敗記録を打ち立てた[16][17]。
2016年9月のインヴァネス・カレドニアン・シッスルFC戦に引き分けた以外は全勝というとてつもないペースで勝ち点を積み重ねると[18]、カップ戦でも好調を維持し2016年11月27日のリーグカップ決勝でアバディーンFCを下しクラブ100個目のトロフィーを獲得した[19]。無敗を継続したまま2017年を迎え、2月5日のセント・ジョンストンFC戦に勝利したことでリーグ戦19連勝を達成。2位アバディーンとの勝ち点差は27ポイントに達した[20]。連勝記録は3月のレンジャーズFCと引き分けたことで22でストップした[21]が、無敗は継続し2017年4月2日に8試合を残してのリーグ優勝が決まった[22]。最終的に勝ち点106ポイント、2位との差30ポイントという圧倒的な強さで1899年にレンジャーズFCが達成しして以来となる無敗優勝を果たした[23]。さらにリーグ最終節から6日後に行われたスコティッシュ・カップ決勝でも勝利し、無敗での国内三冠という前代未聞の偉業を達成した[24]。2017-18シーズンも無敗を継続したが、70試合目となる12月17日のハート・オブ・ミドロシアンFC戦で実に約一年半ぶりに敗北、無敗記録は69でストップした[25]。
ファビオ・カペッロ監督率いるACミランは1991–92シーズンのセリエA34試合を無敗で制覇した。また1991年から1993年まで、リーグ戦での無敗記録は58試合に達した[26]。
アントニオ・コンテ監督率いるユヴェントスFCは2011-12シーズンのセリエAにおいて無敗優勝を達成した。また2011年から2013年まで、トータルでは49試合無敗を記録した[27][28][29]。
94-95シーズン、エールディビジ
シャビ・アロンソ監督率いるレバークーゼンは、2023-24シーズンにブンデスリーガ史上初となる無敗優勝を達成した[30]。さらに、カップ戦でも無敗を継続し、51戦無敗という欧州新記録を樹立していた[31]。しかし、5月22日のUEFAヨーロッパリーグ決勝でアタランタに3-0で敗れ、欧州無敗記録はストップした[32]。ただ、5月25日のDFBポカール決勝でも勝利して無敗での国内二冠を達成した[33]。
リーグ無敗記録は2024-25シーズンの第2節でライプツィヒに敗れ、35でストップした[34]。