イーストマン・ジョンソン Eastman Johnson | |
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自画像 | |
生誕 |
1824年7月29日 アメリカ合衆国 メイン州Lovell |
死没 |
1906年4月5日 アメリカ合衆国 ニューヨーク |
イーストマン・ジョンソン(Jonathan Eastman Johnson、1824年7月29日 - 1906年4月5日)は、アメリカ合衆国の画家である。アメリカの画家のうちヨーロッパに留学した初期の画家の一人で、風景画、肖像画を描き、アメリカ南部の人々の生活を描いた。
メイン州のオックスフォード郡のLovellで生まれた。父親のフィリップ・ジョンソン(Philip Carrigan Johnson)は1840年からメイン州の州務長官を務める人物で、1834年に家族と父親の務める役所のあるオーガスタに移った。1840年からボストンの版画出版業者で働いた後、有名な詩人のヘンリー・ワズワース・ロングフェローの一族の支援を受けて1842年から肖像画家として働き、当時のアメリカの有名人の肖像画を描いた。
1849年にニューヨークの美術愛好家の団体(American Art-Union)の支援を受けて、ジョージ・ヘンリー・ホール(George Henry Hall:1825-1913)とともにドイツのデュッセルドルフに渡り、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、ハインリヒ・ミュッケのもとで学んだ。アメリカへ移民の息子で、デュッセルドルフで学んでいたエマヌエル・ロイツェからの個人教授も受けた。1852年にデュッセルドルフの美術家協会、「Malkasten」の会員になった。1851年のロンドン万国博覧会に参加し、1855年までオランダのデン・ハーグを拠点とし、アメリカ大使のオーガスト・ベルモント(August Belmont)に支援された。1855年にアメリカに帰国する前の数ヶ月、パリでトマ・クチュールの指導も受けた。
アメリカに帰国後は1859年まで、ワシントンやオハイオ州のシンシナティ、ウィスコンシン州のスペリオルなどに滞在し、カナダの先住民族なども画題に選んだ。1859年にニューヨークにスタジオを構えた。この年代表作の『南部の黒人の生活』を出展し、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員となり1860年に正会員となった[1]。作品製作の他、メトロポリタン美術館の設立などに貢献した。