現役時代 (ワシントン・ウィザーズ) のトーマス (2008年) (後はドワイト・ハワード) | |
引退 | |
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ポジション | C |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1978年4月1日(46歳) |
出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 マンハッタン区ハーレム |
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) |
体重(現役時) | 116kg (256 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | シラキュース大学 |
ドラフト | 2000年 1巡目 12位 DAL |
選手経歴 | |
2000-2001 2001-2009 2009-2010 2010-2011 |
ダラス・マーベリックス ワシントン・ウィザーズ オクラホマシティ・サンダー アトランタ・ホークス |
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デドリック・イータン・トーマス (Dedrick Etan Thomas 1978年4月1日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市出身の元バスケットボール選手。NBAのワシントン・ウィザーズなどで活躍した。
シラキュース大学から2000年のNBAドラフトでダラス・マーベリックスから指名を受けNBA入り。マーベリックスでは出場機会がなく、2001年2月のジュワン・ハワードらとの大型トレードでワシントン・ウィザーズに移籍。トーマスはウィザーズで多くの出場機会を得ることになる。
その後2001年にウィザーズに入団したブレンダン・ヘイウッドとは常に出場時間を争うライバル関係にあった。トーマスやクワミ・ブラウンとの先発争いを制して4シーズンの間ウィザーズの先発センターを務めてきたヘイウッドだったが、2006-07シーズンはトーマスが先発の座を獲得。そしてこのシーズンの11月にはついに口論から暴力沙汰に発展した[1]。ヘイウッドはトーマスのドレッドヘアを掴み、トーマスはヘイウッドを床に投げつけた。2人とも1試合の出場停止処分を受けたが、その後ヘイウッドはトーマスから先発の座を奪還。翌2007-08シーズンはトーマスに不整脈が発覚すると言う不幸が襲ったため、結果的にヘイウッドには多くの出場時間が割かれるようになり、成績を10.6得点7.2リバウンドまで伸ばすことができたが、翌2008-09シーズンは今度はヘイウッドが右手首の故障[2]でシーズンをほぼ全休した為に、前述の不整脈を克服したトーマスが再び先発の座を奪還した[3]。
2009年のNBAドラフト開催日、ミネソタ・ティンバーウルブズに移籍するも、1ヶ月後にオクラホマシティ・サンダーに移籍[4]。トーマスはオクラホマ州タルサに自宅を所有していたこともあり、サンダーでは "準・地元選手" として出迎えられた。
2010年夏、アトランタ・ホークスと1年契約を締結[5]。ホークスでは13試合の出場に止まり、その後は契約するチームも現れず、引退した。