ウィリアム・チャールズ・フランクリン・プルーマー(William Charles Franklyn Plomer、1903年12月10日 - 1973年9月21日)は、イギリスの小説家、詩人である。
トランスヴァール植民地のピーターズバーグ(現在の南アフリカ共和国リンポポ州ポロクワネ)に生まれる。彼が若いころ、父親の仕事の関係で家族はイギリスと南アフリカを数回往復し、教育はもっぱらイギリスで受けた。
21歳で処女作となる『ターボット・ウルフ』を発表。これは異人種間の恋愛をテーマとした物語であり、物議を醸したが彼はこの作品で一定の評価を得た。詩人のロイ・キャンベル、作家のローレンス・ヴァン・デル・ポストとともに『フォールスラッハ』という文芸誌を創刊したが、短い期間のうちに廃刊に追い込まれている。
ちょうどそのころ、日本から貨物船「かなだ丸」がナタール港に到着し、船長の森勝衛の知遇を得たウィリアムはヴァン・デル・ポストとともに1926年9月に日本に出発することとなった。二人は日本で歓待を受け、九州の門司から神戸、奈良、京都、東京まで名所を観光した。その後、ヴァン・デル・ポストはかなだ丸に乗って南アフリカへ帰っていったが、プルーマーは日本に残ることを決心した[1]。なお、彼は以降南アフリカに戻っていない。
東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に雇われ、後に同学校で英語の教鞭を執り、その後は旧制東京高等学校(現在の東京大学)に転勤する。1929年3月までの日本滞在の間に短編集『紙の家』を書いている。また1931年の『佐渡』は日本滞在時の経験をもとに書かれた。
日本を離れてのちは、朝鮮、中国、ソヴィエト連邦、ポーランド、ドイツ、ベルギーを経てイギリスに渡った。ヴァージニア・ウルフと夫レナード・ウルフとの交流を通じてロンドンの文学サークルに入った。 フェイバー・アンド・フェイバー出版社に編集者として勤め、1937~40年にはジョナサン・ケープ社のアドバイザーとなっている。同社でイアン・フレミングの「ジェームズ・ボンド」シリーズの第一作およびほかの多くを編集したのも彼であり、フレミングは『007 ゴールドフィンガー』をプルーマーに捧げている。