William Perry | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
基本情報 | |||||||
ポジション | ディフェンスタックル | ||||||
生年月日 | 1962年12月26日(62歳) | ||||||
出身地 |
![]() サウスカロライナ州エイキン | ||||||
身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||
体重: | 335 lb =約152kg | ||||||
経歴 | |||||||
大学 | クレムゾン大学 | ||||||
NFLドラフト | 1985年 / 1巡目全体22位 | ||||||
初出場年 | 1985年 | ||||||
初出場チーム | シカゴ・ベアーズ | ||||||
所属歴 | |||||||
| |||||||
NFL 通算成績 | |||||||
| |||||||
Player stats at PFR |
ウィリアム・ペリー(William Perry 1962年12月16日- )は、サウスカロライナ州出身の元アメリカンフットボール選手。弟のマイケル・ディーン・ペリーと共にディフェンスプレイヤーとしてNFLで活躍した。彼はシカゴ・ベアーズの選手として知られており、冷蔵庫(The Refrigerator)と呼ばれて親しまれた。ポジションはディフェンスタックル(DT)。
1985年、クレムソン大学卒業、ドラフト1巡目、全体22番目で指名を受けてシカゴ・ベアーズに入団した。彼はエンドゾーン付近まで攻め込んだ時のフルバックとしても起用され、ボールキャリアとなったり、ウォルター・ペイトンのリードブロッカーとなった[1]。10月21日にソルジャー・フィールドで行われたグリーンベイ・パッカーズとのマンデーナイトフットボールでフルバックとして起用された彼は、タッチダウンをあげた[2]。この年、彼はラッシングタッチダウン2回、タッチダウンパスキャッチ1回を記録している。またプロボウルでオフェンシブラインマンとして起用されることもあった。第20回スーパーボウルでもタッチダウンをあげた[3]。このプレイにおけるマイク・ディトカヘッドコーチのプレイコールには疑問も投げかけられた。(ペイトンのTDをあげるチャンスを奪ったため)
1993年 フィラデルフィア・イーグルスに移籍。翌1994年に現役引退を引退した。10年間で138ゲームに出場、通算29.5サック、5ファンブルリカバーであった。1996年には後にNFLヨーロッパとなる、World League of American Football のロンドン・モナークスに参加した。
現在彼はContinental Indoor Football LeagueのChicago Slaughterの運営に携わっている。
2008年6月にギラン・バレー症候群に罹っていることが公表され翌2009年4月には一時重態という報道がなされたがその後様態は持ち直している[3]。
2011年に売りに出したスーパーボウルリングをペンシルベニア州に住む10歳の少年が8,500ドル(約73万円)で購入、その後ペリー本人に返還するといった出来事があった[4]。
先代 ウィルバー・マーシャル |
シカゴ・ベアーズドラフト1巡目指名 1985年 |
次代 ニール・アンダーソン |