シンシナティ・レッズ時代 (2009年5月24日) | |
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | エルマーナス・ミラバル州テナレス |
生年月日 | 1981年12月25日(43歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 160 lb =約72.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1999年 アマチュアFA |
初出場 | 2004年9月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国代表 |
WBC | 2006年、2009年 |
この表について
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ウィリー・タベラス(Willy Taveras, 1981年12月25日 - )は、ドミニカ共和国エルマーナス・ミラバル州テナレス出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
同じくメジャーリーガー(外野手)のレオディ・タベラスは従兄弟にあたる[1]。
1999年5月27日にアマチュア・フリーエージェントでクリーブランド・インディアンスと契約してプロ入り。
2003年12月15日にルール・ファイブ・ドラフトでヒューストン・アストロズから指名され、移籍した[2]。
2004年9月6日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。ほとんどが代走による出場だった。
2005年はこの年の最多内野安打(71)、最多バント安打(31)、最多単打(152)を放ち、資格を残していた新人部門でも最多得点(82)と最多安打(172)を記録した。またナショナルリーグ6位となる34盗塁、打率も.291と結果を残した。タベラスは前年限りでニューヨーク・メッツへ移籍したカルロス・ベルトランに代わる中堅手としての役割を果たし、プレイヤー選出のナ・リーグ新人王に選ばれ、記者投票の新人王はライアン・ハワードに次ぐ2位だった[3]。
2006年開幕前の3月に第1回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[4]。
シーズンでは打率.278とやや低調に終わったが、この年も最多バント安打(21)とリーグ10位の33盗塁を記録した。またジェフ・ケントが2004年に記録した25試合連続安打を上回る30試合連続安打を放ち、球団新記録となった[5]。
2006年12月12日にジェイソン・ジェニングス、ミゲル・アセンシオのトレードで、テイラー・バックホルツ、ジェイソン・ハーシュと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[6]。
2007年は松井稼頭央と1・2番コンビを結成。打率、出塁率、長打率は自己最高となり、三振も自己最少に抑えた。バント安打38本は1992年にブレット・バトラーが記録した40本に次ぐもので[7]、両リーグ2位で19本のフアン・ピエールよりも2倍も多く放ち、成功率は64.4%だった[8]。打率は.320と初めて3割に乗せたが、終盤に故障し97試合の出場にとどまり、ポストシーズン途中で復帰を果たすものの精彩を欠いた。それでも、チーム最多となる33盗塁を決めるなど、ワールドシリーズ進出に貢献した。
2008年は打率・251、出塁率・308と低調だったものの、68盗塁をマークして盗塁王に輝いた。しかし、若手育成を優先するチームの意向で新たな契約を打診されず戦力外となり、12月12日にノンテンダーFAとなった[9]。
2008年12月27日に2年総額625万ドルでレッズと契約した[10]。
2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[11]。シーズンでは盗塁数が2005年以降では最低の25に終わり、打撃成績も振るわなかった。
2010年2月1日にトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した[12]が、同日にDFAとなり、2月9日に自由契約となった[13]。3月21日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。27試合に出場して1盗塁と、自慢の快足が鳴りを潜め、5月21日に自由契約となった。6月3日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[14]。傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで23試合に出場したが、6月29日に自由契約となった。7月4日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスで17試合に出場したが、8月2日に自由契約となった。8月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級オクラホマシティ・レッドホークスで23試合に出場した。オフの11月6日にFAとなった。
2011年1月24日にロッキーズとマイナー契約を結び、2月8日に球団が発表した[15]。この年は傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーし、97試合に出場して打率.302、10本塁打、44打点、13盗塁を記録した。オフの11月2日にFAとなった。
2012年12月11日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[16]。
2013年は開幕から傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズでプレーしていたが、7月25日に自由契約となった。
2014年はメキシカンリーグのプエブラ・パロッツに所属した。
2015年も当初はプエブラ・パロッツに所属していた。5月15日に独立リーグであるアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約。
2016年4月11日にプエブラ・パロッツと契約した。
2017年2月21日にトレードで、モンクローバ・スティーラーズへ移籍した。
2018年は所属球団なく、2019年5月13日にシュガーランド・スキーターズと契約した。7月22日に自由契約となった。
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2004 | HOU | 10 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2005 | 152 | 635 | 592 | 82 | 172 | 13 | 4 | 3 | 202 | 29 | 34 | 11 | 7 | 4 | 25 | 1 | 7 | 103 | 4 | .291 | .325 | .341 | .666 | |
2006 | 149 | 587 | 529 | 83 | 147 | 19 | 5 | 1 | 179 | 30 | 33 | 9 | 11 | 2 | 34 | 0 | 11 | 88 | 6 | .278 | .333 | .338 | .671 | |
2007 | COL | 97 | 408 | 372 | 64 | 119 | 13 | 2 | 2 | 142 | 24 | 33 | 9 | 7 | 1 | 21 | 0 | 7 | 55 | 1 | .320 | .367 | .382 | .749 |
2008 | 133 | 538 | 479 | 64 | 120 | 15 | 2 | 1 | 142 | 26 | 68 | 7 | 15 | 3 | 36 | 0 | 5 | 79 | 4 | .251 | .308 | .296 | .604 | |
2009 | CIN | 102 | 437 | 404 | 56 | 97 | 11 | 2 | 1 | 115 | 15 | 25 | 6 | 11 | 2 | 18 | 0 | 2 | 58 | 2 | .240 | .275 | .285 | .559 |
2010 | WSH | 27 | 37 | 35 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 9 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | .200 | .243 | .257 | .500 |
MLB:7年 | 670 | 2644 | 2412 | 358 | 662 | 71 | 16 | 8 | 789 | 128 | 195 | 44 | 52 | 12 | 136 | 1 | 32 | 390 | 17 | .274 | .320 | .327 | .647 |
年 度 |
球 団 |
左翼(LF) | 中堅(CF) | 右翼(RF) | |||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |