ウィレム・ファン・デル・フリート Willem van der Vliet | |
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ファン・デル・フリート作の寓意画、学者とマスクを持った人物画描かれている(1627) | |
生誕 |
1584年ころ デルフト |
死没 |
1642年12月6日 デルフト |
ウィレム・ウイレムスゾーン・ファン・デル・フリート(Willem Willemsz. van der Vliet、 1584年ころ - 1642年12月6日[1])はオランダの画家、版画家である[2]。主に肖像画を描いた。
デルフトで生まれた。18世紀の初めにオランダの画家たちの伝記を著わしたヤコブ・カンポ・ワイエルマン(Jacob Campo Weyerman: 1677-1747)によれば[3] 、ファン・デル・フリートは「heren van der Woert」という貴族の後裔であった。オラニエ公、フレデリック・ヘンドリックの宮廷画家となったミヒール・ファン・ミーレフェルトから学んだと考えられていて、ファン・ミーレフェルトに次いで、デルフトの重要な肖像画家の一人になった。1815年にデルフトの聖ルカ組合のメンバーになり、1633年に組合の役員(hoofdman)になった。
1618年と1638年の2度結婚しているが、子供についての記録はない。裕福な生涯を送り相続人に多くの遺産を残したとされる。
1624年から1640年の間に活躍したことが知られ、40点ほどの肖像画が知られている。肖像画の他に寓意画も残されている。
主に建築画を描いた甥のヘンドリク・コルネルスゾーン・ファン・フリート(c.1611-1675)はしばらくウィレム・ファン・デル・フリートに学んだ後、ミヒール・ファン・ミーレフェルトに学んだ[4]。