『ウィン、ルーズ・オア・ドロウ』 | ||||
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オールマン・ブラザーズ・バンド の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1975年2月 - 7月 ジョージア州メイコン Capricorn Sound Studios カリフォルニア州ロサンゼルス ザ・レコード・プラント | |||
ジャンル | ブルースロック、サザン・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | カプリコーン・レコード | |||
プロデュース | ジョニー・サンドリン、オールマン・ブラザーズ・バンド | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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オールマン・ブラザーズ・バンド アルバム 年表 | ||||
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『ウィン、ルーズ・オア・ドロウ』(Win, Lose or Draw)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンドが1975年に発表した、通算6作目のアルバム。グレッグ・オールマンとディッキー・ベッツのソロ活動を経て、2年ぶりの新作としてリリースされた。
本作のレコーディングは、ディッキー・ベッツとチャック・リーヴェルが音楽的方向性をめぐって対立したことに加えて、全メンバーがスタジオに揃うことすら殆どないまま行われた[3][4]。バンドの正式ドラマーであるジェイ・ジョハンソンとブッチ・トラックスは、「夜明けのギャンブラー(ルイジアナ・ルー・アンド・スリー・カード・モンティ・ジョン)」と「スウィート・ママ」のレコーディングには姿を現さず、この2曲はジョニー・サンドリンとビル・スチュワートのツイン・ドラム編成で録音されたという説がある[3]。また、本作のレコーディング中、グレッグ・オールマンはロサンゼルスでシェールと交際を始めており、それに伴って、タイトル曲はグレッグのボーカル・パートのみロサンゼルスで録音された[3][5]。そして、グレッグとシェールは6月30日に結婚するが、9日後にはシェールから離婚訴訟を提起されるという騒動もあった[3][6]。
「キャント・ルーズ・ホワット・ユー・ネヴァー・ハッド」は、マディ・ウォーターズが1964年に「ユー・キャント・ルーズ・ホワット・ユー・エイント・ネヴァー・ハッド」というタイトルで録音した曲のカヴァー[7]。「ハイ・フォールズ」はインストゥルメンタルで、タイトルはジョージア州のハイ・フォールズ州立公園にちなんでいる[8]。「スウィート・ママ」は、ディッキー・ベッツと親しかったカントリー・ミュージシャン、ビリー・ジョー・シェイヴァーが提供した曲で[3][9]、シェイヴァー本人の録音は、1987年のアルバム『Salt of the Earth』に収録されている[10]。
本作はBillboard 200で5位に達し[1]、1975年10月にはRIAAによってゴールドディスクの認定を受けた[11]。また、シングル「ルイジアナ・ルー・アンド・スリー・カード・モンティ・ジョン」はBillboard Hot 100で78位を記録している[1]。
ニュージーランドのアルバム・チャートでは3週トップ30入りし、最高14位を記録した[2]。
本作はしばしば、批評家からライヴ感の欠如を指摘された。Bruce Ederはオールミュージックにおいて「演奏はなおもしっかりしているのに、バンド・サウンドは無気力」と評し[12]、Michael GallucciはUltimate Classic Rockにおいて「このレコードは、メンバーが殆ど同じ部屋に集まることなく、5か月もかけて制作された。混乱した音になるのも当然だ」と評し[13]、Ted Drozodowskiはギブソン公式サイトにおいて「グループはここで初めて、スタジオに集合して曲を録音せず、彼らの原点であり核でもある、ライヴにおけるインタープレイを捨て去った。その結果が、とっ散らかった不幸なアルバム『ウィン、ルーズ・オア・ドロウ』だ」と評している[4]。一方、トニー・グローヴァーは1975年11月6日付の『ローリング・ストーン』誌において「これは徐々に気に入っていくレコードだ。聴けば聴くほど、小ぎれいな機微が伝わってくるはずであり、インタープレイは相変わらずしっかりしている」と評している[14]。
特記なき楽曲はディッキー・ベッツ作。
アディショナル・ミュージシャン