ウイルバー・スナイダー | |
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プロフィール | |
ニックネーム | 原爆男 |
身長 | 188cm |
体重 | 107kg(全盛時) |
誕生日 | 1929年9月15日 |
死亡日 | 1991年12月25日(62歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス郡サンタモニカ |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー | ヒュー・ニコルズ |
デビュー | 1952年 |
引退 | 1991年 |
ウイルバー・スナイダー(Wilbur Snyder、1929年9月15日 - 1991年12月25日)は米国のプロレスラー。日本での異名は原爆男。ウィルバー・スナイダーとも表記される。息子はマイク・スナイダー。娘婿はスティーブ・リーガル[1]。
カリフォルニア州サンタモニカ出身。高校時代からフットボールとアマチュアレスリングに熱中[2]、ユタ州立大学卒業後、NFLのロサンゼルス・ラムズに入団。その後CFLのエドモントン・エスキモーズに在籍、このときのチームメイトにはジン・キニスキーがいた。
ジャイアント馬場は、その実力を高く評価していたが、当時の日本プロレスはスナイダーをあまり評価せず、アメリカでのスナイダーの多忙もあって常連レスラーにはならなかった。その後、馬場が全日本プロレスを旗揚げした後、すぐに招聘しているが、その頃にはプロレスラーとしてのピークを過ぎており、馬場は全盛期に日本のプロレスファンにもっと見てもらいたかったレスラーだったとスナイダーを評している。BI砲はインター・タッグから3回陥落しているが、他の2回がディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクというプロレス史上に残る強力チームであるのに対し、スナイダー&ホッジはインター・タッグ奪取以外に大きな実績のない急造チームであり、この二人の強豪ぶりをうかがい知ることが出来る。
また、インディアナ州インディアナポリスにてディック・ザ・ブルーザーと共にWWAを運営するなど、プロモーターとしても活動した。引退後はシカゴで余生を送る。1991年に白血病により、フロリダ州ポンパノビーチにて死去。62歳没。