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名前 | ||||||
本名 | Warren Garton Joyce | |||||
カタカナ | ウォーレン・ガートン・ジョイス | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | 1965年1月20日(59歳) | |||||
出身地 | オールダム | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1981-1983 | ボルトン・ワンダラーズFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1987 | ボルトン・ワンダラーズFC | 184 | (17) | |||
1987-1992 | プレストン・ノースエンドFC | 177 | (34) | |||
1992-1993 | プリマス・アーガイルFC | 30 | (3) | |||
1993-1996 | バーンリーFC | 70 | (9) | |||
1995 | → ハル・シティAFC (loan) | 9 | (3) | |||
1996-2000 | ハル・シティAFC | 147 | (15) | |||
通算 | 608 | (78) | ||||
監督歴 | ||||||
1998-2000 | ハル・シティAFC(選手兼任) | |||||
2006-2008 | ロイヤル・アントワープFC | |||||
2008-2010 | マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブ(共同監督) | |||||
2010-2016 | マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブ | |||||
2016-2017 | ウィガン・アスレティックFC | |||||
2017-2019 | メルボルン・シティFC | |||||
2019- | サルフォード・シティFC(ユース) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウォーレン・ガートン・ジョイス(Warren Garton Joyce、1965年1月20日 - )は、イングランド・オールダム出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
ジョイスはランカシャーのオールダムで生まれ、1981年にボルトンワンダラーズでキャリアをスタートさせた。
1987年10月、プレストン・ノースエンドに移籍した[1]。ここではクラブの年間最優秀選手賞を受賞し、クラブのキャプテンになった。
1992年5月にプリマス・アーガイルに移籍。しかし、40試合しか出場しなかった。1993年7月には、バーンリーに移籍。3年間で90試合に出場し、12ゴールを決めた。
1995年1月、ハル・シティAFCへ期限付き移籍。1996年7月に完全移籍。クラブのキャプテンにもなった。1998年11月の後半、マーク・ヘイトリーが退任した後は、暫定監督を務めた。
その後正式に監督となり、選手兼任監督のとして活動することになった。監督に就任した当時のチームは、リーグの下位に停滞しており、フットボールリーグからの降格が危ぶまれていた。しかし、ジョイスが就任すると、目覚ましい好転を遂げ、残留を果たした。ファンはこのシーズンの戦いぶりを「大脱走」と名付けた[2]。
ハル・シティの監督を退任して以降は、リーズ・ユナイテッド、ストックポート・カウンティ、トレンメア・ローヴァーズFCでコーチとして活動した。
2006年9月11日、ロイヤル・アントワープFCの監督に就任した。2008年5月26日、アントワープを離れてマンチェスター・ユナイテッドに向かい、オーレ・グンナー・スールシャールと共同でマンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブの監督に就任した[3]。
2016年11月2日、3年半の契約でウィガン・アスレティックFCの監督に就任[4]。しかし、クラブに加入してから4か月後の2017年3月13日に退任した[5]。
2017年6月19日、Aリーグ・メルボルン・シティFCの監督に就任[6]。
2019年7月、サルフォード・シティのユースチームの監督に就任した[7]。