ヴラジーミル・シャドリン | |
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生誕 出生地 |
1948年6月6日 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
死没 | 2021年8月26日(73歳没) |
ポジション | センター |
所属したチーム | HCスパルタク・モスクワ 王子製紙アイスホッケー部 |
代表 | ソビエト連邦 |
プロ選手期間 | 1965年 – 1983年 |
獲得メダル | ||
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男子アイスホッケー | ||
ソビエト連邦 | ||
オリンピック | ||
金 | 1972 | |
金 | 1976 | |
アイスホッケー世界選手権 | ||
金 | 1970 | |
金 | 1971 | |
銀 | 1972 | |
金 | 1973 | |
金 | 1974 | |
金 | 1975 | |
銀 | 1976 | |
銅 | 1977 |
ヴラジーミル・ニコラエヴィチ・シャドリン(ロシア語: Влади́мир Никола́евич Ша́дрин, ラテン文字転写: Vladimir Nikolaevich Shadrin、1948年6月6日 - 2021年8月26日)は、ソビエト連邦のアイスホッケー選手。
HCスパルタク・モスクワに1965年から1979年まで在籍しソビエト選手権で3回優勝、ヨーロッパチャンピオンカップで2度準優勝した[1]。ソビエト連邦国内リーグ(ソビエト・チャンピオンシップリーグ)で445試合に出場し213得点をあげた。
1971年にソビエト連邦の名誉スポーツマスターに選ばれた[2]。
1972年の2月に開催された札幌オリンピックのアイスホッケーソビエト連邦代表に選出された。同大会では金メダルを獲得した。9月に開催されたNHLに所属するカナダ人選手とのサミット・シリーズのソビエト連邦代表にも選出された。同大会では3得点、5アシストの合計8ポイントをあげた。この試合でスーパースターのアレクサンドル・ヤクシェフを好サポートした[3]。
1976年2月にインスブルックオリンピックのアイスホッケーソビエト連邦代表に選出された。同大会では金メダルを獲得した。オリンピック以外でもアイスホッケー世界選手権で5度優勝した[1]。
日本アイスホッケーリーグの王子製紙アイスホッケー部(後の王子イーグルス)でも1979年から1983年まで選手兼任コーチとしてプレイした[4][5]。
現役引退後、1984年にスパルタク・モスクワのヘッドコーチに就任、その後同チームのジュニアチームのヘッドコーチを務め、1992年から1997年まではアイスホッケーロシア代表のジュニアチームヘッドコーチを務めた[1]。
2021年8月26日に死去したことが、国際アイスホッケー連盟によって発表された。73歳没[6]。