ウラジーミル・ルシャイロ Владимир Борисович Рушайло | |
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ウラジーミル・ルシャイロ | |
生年月日 | 1953年7月28日(71歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 タンボフ州タンボフ |
出身校 | ソ連内務省オムスク高等民警学校 |
前職 |
内務官僚(民警、ミリーツィヤ) ロシア連邦内務次官 |
現職 | 国際法律経済大学学長 |
称号 | 大将 |
子女 | 3人 |
在任期間 | 2004年6月12日 - 2007年10月5日 |
在任期間 | 2001年3月28日 - 2004年3月9日 |
大統領 | ウラジーミル・プーチン |
内閣 |
セルゲイ・ステパーシン内閣 第1次ウラジーミル・プーチン内閣 ミハイル・カシヤノフ内閣 |
在任期間 | 1999年5月9日 - 2001年3月28日 |
大統領 |
ボリス・エリツィン ウラジーミル・プーチン |
ウラジーミル・ボリソヴィチ・ルシャイロ(ロシア語: Влади́мир Бори́сович Руша́йло, ラテン文字転写: Vladimir Borisovich Rushailo, 1953年7月28日 - )は、ロシア連邦の政治家。内務省官僚出身のシロヴィキで、人質解放の強行作戦の実行に関する専門家。ボリス・エリツィン政権とウラジーミル・プーチン政権で内務大臣、ロシア連邦安全保障会議書記、CIS執行議長及び書記を歴任した。
1953年6月28日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のタンボフ州タンボフ市に誕生する。1972年から内務省。1976年、ソ連内務省オムスク高等民警学校卒業。学校卒業後、モスクワ内務総局刑事捜索部で働く。1986年から組織犯罪対策に従事し、モスクワ市内の両替店を監督。1988年~1993年、モスクワ刑事捜索部第6課(匪賊・組織犯罪対策)長。1992年から地域組織犯罪対策局長。1994年、民警少将。
1995年3月、テレビジャーナリスト、ウラジスラフ・リスチエフ殺害と関連して、株式会社「LogoVAZ」社長ボリス・ベレゾフスキーの事務所を捜索。1996年10月、組織犯罪対策総局第一副総局長に任命。同年12月、ロシア安全保障会議に出向。1996年~1998年、連邦院議長の法務問題・安全保障担当顧問。
1998年5月9日、ロシア連邦内務次官に任命、中将に昇進。チェチェンにおけるロシア要人誘拐事件解決に当たる。1999年5月31日、セルゲイ・ステパーシン内務大臣が首相に就任したため、後任の内相に就任、大将に昇進。2001年3月28日、安全保障会議書記に就任する。安全保障会議書記としては、中国を訪問し中露関係の緊密化に一役買うなどした。2004年6月12日にCIS(独立国家共同体)執行委員会議長。 上院議員を経て、2008年8月22日に国際法律経済大学学長に就任した。
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