ケケ・ロズベルグがドライブするウルフ・WR7、1979年イモラ | |||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | ウォルター・ウルフ・レーシング | ||||||||
デザイナー | ハーベイ・ポスルスウェイト | ||||||||
先代 | ウルフ・WR6 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FGA 400 5速 MT | ||||||||
重量 | 585kg | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | オリンパスカメラ ウルフ・レーシング | ||||||||
ドライバー |
20. ジェームズ・ハント 20. ケケ・ロズベルグ | ||||||||
初戦 | 1978年アルゼンチングランプリ | ||||||||
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ウルフ・WR7 (Wolf WR7) は、ウォルター・ウルフ・レーシングが1979年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。設計者はハーベイ・ポスルスウェイト。決勝最高成績は8位。
グラウンド・エフェクト効果を得るために、完全なウイングカーとしてWR7は製作された。しかし、昨年の車であるWR6よりも順位が低下。結局1979年シーズンはノーポイントに終わる。この年はオリンパスがスポンサーとなったため、昨年までの紺色ではなく、黒色の車体に金色の文字となった。
1979年末に合併したフィッティパルディで改良され、1980年にF7としてデビューした。
ウルフのシャーシの名称はWR1からWR9まであるが、このうちWR8とWR9はWR7と同一である。
ドライバーは3シーズン前のワールドチャンピオンであるジェームズ・ハントを迎えて開幕するが、第7戦モナコGPをリタイヤで終えるとハントは「ドライバーの腕だけでは上位進出など望めなくなっているF1に対して急激に冷めてしまった。興味が無くなった。」として完全引退を宣言、グランプリから去ってしまった[1]。このため後任にはまだ入賞経験が無かったケケ・ロズベルグを起用した。しかしロズベルグも第8戦フランスGPでの9位が唯一の完走となり、苦戦のシーズンとなった。同年を最後にウルフはフィッティパルディ(コンストラクター名はコパスカー)に吸収合併され、消滅した。