エウドキア・ラスカリナ

エウドキア・ラスカリナ
Eudokia Laskarina

出生 1210/2年
死去 1247年以降
配偶者 オーストリア公フリードリヒ2世
  アンソー・ド・カイユー英語版
家名 ラスカリス家
父親 ニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリス
母親 アンナ・アンゲリナ
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エウドキア・ラスカリナ(ドイツ語:Eudokia Laskarina, ギリシャ語:Ευδοκία Λασκαρίνα, 1210/2年 - 1247年以降)またはゾフィー(Sophie)は、ニカイア帝国の皇女。

生涯

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エウドキアはニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリスアンナ・アンゲリナの間の娘である[1]

最初エウドキアはラテン皇帝ロベールと婚約したが、この結婚はコンスタンティノープル総主教に阻止された。その後エウドキアはオーストリア公フリードリヒ2世と結婚したが離婚し、次に(1230年以前)、アンソー・ド・カイユー英語版と再婚した。アンソー・ド・カイユーは1237年から1238年までラテン帝国の摂政をつとめた[2]

1247年、夫アンソー・ド・カイユーは、チョルルの町を東ローマ皇帝ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスに攻撃されないよう、エウドキアの保護下に置いた。ヨハネス3世はエウドキアの姉イレーネー・ラスカリナと結婚していた[3]

エウドキアは、フリードリヒ2世との結婚に関する資料において、ゾフィーの名で記されている[4]

脚注

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  1. ^ Angold 2011, p. 52-54.
  2. ^ Perry 2013, p. 164, 182.
  3. ^ Angold 2011, p. 54.
  4. ^ Angold 2011, p. 53.

参考文献

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  • Angold, Michael (2011). “The Latin Empire of Constantinople, 1204–1261: Marriage Strategies”. Identities and Allegiances in the Eastern Mediterranean after 1204. Farnham: Ashgate Publishing Limited. pp. 47–68. ISBN 9781409410980. https://books.google.com/books?id=p_mazcfdpVIC 
  • Ostrogorsky, George (1956). History of the Byzantine State. Oxford: Basil Blackwell. https://books.google.com/books?id=Bt0_AAAAYAAJ 
  • Perry, Guy (2013). John of Brienne: King of Jerusalem, Emperor of Constantinople, c. 1175–1237. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 9781107043107. https://books.google.com/books?id=xfTXAAAAQBAJ