Institut d'études politiques d'Aix-en-Provence | |
モットー |
プロヴァンスに於けるグランセコールの一つ Une Grande École en Provence |
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種別 | グランゼコール(公施設法人) |
設立年 | 1956年 |
資金 | 610万ユーロ (2009年) |
学長 | クリスティーヌ・ラガルド |
学部生 | 1850人 |
所在地 |
フランス (エクス=アン=プロヴァンス) |
スクールカラー |
赤・金(選手) 赤・白・茶(公式) |
公式サイト | http://www.sciencespo-aix.fr |
エクス=アン=プロヴァンス政治学院(フランス語: Institut d'Etudes Politiques d'Aix-en-Provence)は、フランス南部エクス=アン=プロヴァンスにある社会科学系のグランゼコール。通称はSciences-Po Aix(シヤンス・ポ・エクス)。フランスの政治学院の1つ。なお、エクス=マルセイユ大学所属の行政的公施設法人。
1956年3月27日、法令によってプロヴァンス=エクス=マルセイユ大学政治学研究所として、プロヴァンス=エクス=マルセイユ大学の法学部建物であった18世紀の邸宅を本拠地として発足した[1]。1969年1月18日の法令により、現在の名称となった[2]。
2007年、モナコの国務大臣であるジャン=ポール・プルーストに代わってフィリップ・セガンが学長(取締役会長ないし評議会議長)に選出された。2010年4月にセガンが急死したため、同年7月に同校の卒業生でもあるクリスティーヌ・ラガルドが学長として選出された[3]。
その他、現在取締役会ないし評議会に出席する著名人では、ベルナール・ビュコ(国立行政学院学長)、ジャン=クロード・カザノヴァ(フランス国立政治学財団会長)、イヴォン・ベルラン(公立エクス=マルセイユ大学学長)、ジャン=フランソワ・ヴェルディエ(内務省の行政・公務員総局長)、またジャン=ポール・バイー(フランス郵政公社長)やジェラール・メストラレ(GDFスエズ会長兼CEO)などがいる[4]。
毎年、バカロレア後の試験により200人ぐらいが入学する[5]。卒業生の多数は高級公務員、政治家、記者、外交官、大学教員などになる[6]。
教育は5年間かかる。第3学年は交換留学か国外のインターンシップが必要である。例えば、訪日予定の学生は早稲田大学[7]、中央大学や同志社大学などにする。
第4学年からは以下の6つに区分される。
第4年の6月、グラントラール(Grand Oral)という公開口述卒業試験が行われる。フランスの政治学院の典型的な試験としてみられるが、各政治学院次第に変わる。エクス=アン=プロヴァンスでは学生1人が大学教員3人に面して、図書引用の評論を厳守の10分間で発言し、その後の20分間は教養(一般知識, culture générale)に関する対話をする。学生の弁論術の能力及び教養が評価される。発足した1956年からエクス政治学院では、この試験で満点できた学生は2人しかいない(フィリップ・セガンと2012年の大学院生)。10/20以下の点数を受ける場合は政治学院の卒業証書が獲得できないが、ECTS単位の数え方には影響しないので、グラントラールを合格しなくても通常の大学から卒業できる。口頭卒業試験の目標は4年間の厳しい勉強末、公開の場合で理性的な弁論の能力を確保することしかないであろう。
また、他のグランゼコールの習慣と同様に、2006年からすべての卒業年は著名人に因んで名づけられる。
そして、古代ローマから遺伝された「mens sana in corpore sano」(健全な精神は健全な身体に宿る)ということわざにそくして、体育も必要である。また、毎年3月に開始するクリテリアム(フランスの政治学院間トーナメント方式)に加わる。2012年のトーナメント方式がエクス=アン=プロヴァンスで行われた。1987年から始まったクリテリアムでは8回優勝したが、パリ政治学院(8回)と第1位の座を争う。
欧州高等教育改革に巡って、政治学院の卒業証書に限らず15つの修士を提案する。なお、アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクとともに仏独修了書[8]やサロン=ド=プロヴァンス空軍学院とともに共同修了書などを提供する[9]。