エティエンヌ・オーブリー Étienne Aubry | |
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エティエンヌ・オーブリー作「父の愛」(1776) | |
生誕 |
1745年1月10日 フランス、ヴェルサイユ |
死没 |
1781年7月24日 フランス、ヴェルサイユ |
エティエンヌ・オーブリー(フランス語: Étienne Aubry, 1745年1月10日 - 1781年7月24日)は、フランスの画家。
ヴェルサイユに生まれる。初めジャック・オーギュスタン・ド・シルヴェストルに学び、次いでジョゼフ=マリー・ヴィアンに師事した。1771年にパリの王立絵画彫刻アカデミーから肖像画家に任命され、同年にサロン・ド・パリで4枚の絵画を発表した後、『クリストフ・ヴィリバルト・グルック[1]』、『エティエンヌ・ジョーラ』、『ヴィクトワール・ド・フランス』、『ノエル・アレ[2]』、『彫刻家ルイ・クロード・ヴァッセ[3]』などを描いた。ジャン=バティスト・グルーズの影響を受けて、1775年に風俗画家に転向した。 1777年に『壊れた結婚(Mariage rompu)』を発表し、サロン・ド・パリで大成功を収めた。同年秋、歴史画家となることを決意したオーブリーは後援者であったダンジヴィレ伯爵によって期待されてローマに送られた。しかしイタリアではオーブリーはほとんど絵を描かず、思い描いたキャリアは実現しなかった。1780年にマラリアに苦しんでパリに戻り、翌1781年にヴェルサイユで死去した。遺作となった『コリオラヌスの妻への別れ (Les Adieux de Coriolan à sa femme)』は死後にサロン・ド・パリで発表され、高い評価を受けた。