エディ・エドワーズ | |
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プロフィール | |
リングネーム | エディ・エドワーズ |
本名 | エリック・マハー |
ニックネーム |
ダイ・ハード クラッシャー 青い目のノア戦士 |
身長 | 183cm |
体重 | 97kg |
誕生日 | 1983年12月30日(40歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン |
所属 | インパクト・レスリング |
トレーナー |
キラー・コワルスキー 小川良成 本田多聞 小橋建太 秋山準 田上明 三沢光晴 |
デビュー | 2002年 |
エディ・エドワーズ(Eddie Edwards、1983年12月30日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。マサチューセッツ州ボストン出身。
ダイ・ハード(Die Hard)[1]のニックネームで知られる。
2002年に米国でプロデビュー。プロレスリングZERO-ONEに海外選手として参戦を経て、2005年5月にノアの練習生となる。9月にノアマットで再デビューした。その後、故郷である米国に活動拠点を置くためにノアとの所属契約をフリー参戦契約に変更。2006年4月にノアに再び参戦。同年11月には、ノアでの初勝利をあげた。
2007年にはテッド・デビアス・ジュニアとのタッグで、ノアのグローバル・ハードコア・クラウン無差別級選手権に挑戦した。
2008年6月21日に行われたノアのイギリス大会に参戦し、ブライアン・ダニエルソンと組み、GHCジュニアヘビー級タッグ王者のKENTA&石森太二組に挑戦、敗北。さらに7月の日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦では、リッキー・マルビンと組んで出場するが、優勝戦線に絡めずに終わる。11月28日に新潟市体育館大会でGHCジュニアヘビー級王者のKENTAに挑戦し敗北した。
2009年4月、デイビー・リチャーズとのタッグチーム、アメリカン・ウルブズを結成してROHタッグ王者となる。7月にノアで行われた日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦では、前年同様のマルビンとのタッグで出場し、Bブロックを2位通過したが、決勝トーナメントで青木篤志&飯伏幸太組に敗れ、決勝戦進出ならずベスト4止まりとなった。
2010年6月、ROHで新設されたROH世界TV王座の初代王者となる。同年10月、ノアの第4回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に新しいパートナーロデリック・ストロングとタッグを組んで出場。決勝戦ではKENTA&青木篤志組に敗れる。
2011年1月、鈴木鼓太郎の保持するGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗北。
2012年4月、ノアのグローバル・タッグ・リーグ戦2012にコルト"BOOM BOOM"カバナと組んで、ROH代表コンビとして出場[2]。
2014年1月、デイビー・リチャーズと共にTNAと契約して入団。ザ・ウルブス(The Wolves)のタッグ名で活動を開始。
TNAと提携を結んでいるWRESTLE-1へデイビー・リチャーズと共に参戦を果たす。
2017年3月、プロレスリング・ノアに再び参戦。8月26日に後楽園ホールで行われたGHCヘビー級選手権試合では三沢光晴のタイガードライバー、小橋健太の逆水平チョップ、田上明のダイナミックボム、秋山準のブルーサンダー、鉄柵越えのダイブ、エプロンでのデンジャラスなスープレックスなど、古のノアを髣髴させる試合運びをし、最終的に4の字式エメラルド・フロウジョンで勝利。記録は25分41秒に片エビ固め。29代王者となる。生きていればおそらく外国人初のGHCヘビー級王者になっていたであろう先輩であるバイソン・スミスの分まで戦い、その上で収めた勝利であった。試合後、挑戦表明してきた丸藤正道にお辞儀と握手で敬意を表しながら受諾した[3]。