エディ・グラハム

エディ・グラハム
プロフィール
リングネーム エディ・グラハム
エディ・ゴセット
ロイ・ロジャース
リップ・ロジャース
本名 エドワード・F・ゴセット
身長 180cm
体重 98kg(全盛時)
誕生日 1930年1月15日
死亡日 (1985-01-21) 1985年1月21日(55歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テネシー州の旗 テネシー州
ハミルトン郡チャタヌーガ
スポーツ歴 レスリング[1]
デビュー 1947年
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エディ・グラハムEddie Graham、本名:Edward Gossett1930年1月15日 - 1985年1月21日)は、アメリカ合衆国プロレスラープロレスプロモーター[1]テネシー州チャタヌーガ出身[2]

現役選手時代は金髪のラフファイターとして活躍し、引退後はNWAフロリダ地区のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダのプロモーターとなって繁栄マーケットを築いた[2]。息子のマイク・グラハムも元プロレスラーである[3]

来歴

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1947年テキサス地区でデビュー。主にヒールのポジションで活動し、1950年代リップ・ロジャースリングネームを用いてバディ・ロジャースの「弟」を名乗ることもあった[2]1956年にはアマリロにて、ドリー・ファンクボブ・ガイゲルサニー・マイヤースらと抗争[4]1958年4月22日にはダラスにて、ジョニー・バレンタインと組んでエンリケ・トーレス&アルベルト・トーレスからテキサス・タッグ王座を奪取している[5]

1958年6月よりエディ・グラハムと改名し、ドクター・ジェリー・グラハムとグラハム・ブラザーズ[6]を結成してNWAノースイースト地区のキャピトル・レスリング・コーポレーション(後のWWWF)に進出、マーク・ルーイン&ドン・カーティスやレッド・バスチェン&ルー・バスチェンとUSタッグ王座を争った[7]。同地区には1960年代初頭まで参戦し、バディ・ロジャースともタッグを組んでバスチェン兄弟やベアキャット・ライト&スウィート・ダディ・シキなどと抗争[8]ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンではブルーノ・サンマルチノとのシングルマッチも行われた[9]

ジェリーとのコンビ解消後は、ベビーフェイスとなって南部フロリダ地区に定着。サム・スティムボートとのタッグチームボリス・マレンコとの抗争で活躍する。1966年5月には日本プロレスに初来日、キラー・カール・コックスと組み、6月27日に名古屋吉村道明&ヒロ・マツダからアジアタッグ王座を奪取した[10]1967年1月にはマツダのブッキングで国際プロレスの旗揚げシリーズ(東京プロレスとの合同興行)に参戦、東プロ所属のアントニオ猪木のUSヘビー級王座に挑戦している[11]

1971年にフロリダ地区の興行権を獲得。以降はチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダCWF)のプロモーターとなって手腕を振るい、1974年からはダスティ・ローデスを団体のエースに据え、フロリダを全米屈指の黄金テリトリーへと発展させた。1976年から1978年まではNWAの会長を務め[2]、1978年1月25日にはマイアミ・オレンジボウルにて、当時のNWA世界王者ハーリー・レイス対WWWF王者スーパースター・ビリー・グラハムのダブル・タイトルマッチを『スーパーボウル・オブ・レスリング』と銘打って実現させている[12][13]

この間、日本には1974年2月に選手として全日本プロレスに参戦しているが[14]、ブッカーのヒロ・マツダの仲介で1978年より新日本プロレスに協力。ダスティ・ローデスをはじめ、ボブ・ループジャック・ブリスコロッキー・ジョンソンスティーブ・カーンスキップ・ヤングスーパー・デストロイヤーマイク・グラハムジム・ガービンスタン・レーンなどをCWFから新日本にブッキングし、1980年2月には、スティーブ・カーン対藤波辰巳NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座WWFジュニアヘビー級王座のダブル・タイトルマッチに立会人として来日している[15]。しかし、日本のレスリング・ウォーが激化していた1982年からは再び全日本プロレスに接近、同年2月に行われたジャイアント馬場ら全日本主力勢のCWFサーキットをプロデュースした。

晩年は金融投資の失敗[16]アルコール依存症に陥り、1985年1月21日にピストル自殺[17]。55歳没。2008年にはプロレス界における功績をたたえ、WWE殿堂に迎えられた(インダクターはダスティ・ローデス。式典にはマイク・グラハムが出席)。

グラハムの死後、CWFはデューク・ケオムカとヒロ・マツダの新体制を経て1987年2月にジム・クロケット・プロモーションズに吸収合併されたが[18]、息子のマイク・グラハムはクロケット・プロを離脱して1988年4月より後継プロモーションのフロリダ・チャンピオンシップ・レスリング(FCW)を旗揚げ、後にプロフェッショナル・レスリング・フェデレーション(PWF)と改称し、1991年まで運営していた[19]。FCWの名称は後年、かつてCWFを主戦場としていたスティーブ・カーンが主宰するWWEの下部団体に使用された。

尚、息子のマイク・グラハムも2012年10月19日、父親と同じくピストル自殺を遂げている[20][21]

獲得タイトル

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チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
キャピトル・レスリング・コーポレーション / WWE
NWAミッドアメリカ
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / サム・スティムボート)[28]
  • NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):2回(w / ロイ・ウェルチ)
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAサウスウエスト・タッグ王座:3回(w / アート・ネルソン)
サウスウエスト・スポーツ・インク
ミッドサウス・スポーツ
  • 世界ヘビー級王座(ジョージア版):1回[30]
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / マイク・グラハム)[31]
ミッドウエスト・レスリング・アソシエーション
日本プロレス
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
  • WCW殿堂:1993年[32]

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b Eddie Graham”. Cagematch.net. 2020年2月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e Eddie Graham”. Online World of Wrestling. 2011年1月6日閲覧。
  3. ^ Mike Graham”. Online World of Wrestling. 2015年3月5日閲覧。
  4. ^ The Amarillo matches fought by Eddie Graham in 1967”. Wrestlingdata.com. 2015年3月5日閲覧。
  5. ^ a b NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  6. ^ グラハム・ファミリーまたはゴールデン・グラハムズとも呼ばれる。後にクレージー・ルーク・グラハムスーパースター・ビリー・グラハムもファミリー・メンバーに加わり、ミネソタ・レッキング・クルーバリアント・ブラザーズなどに先駆けるレスリング・ブラザーズ(実際には血縁関係のないギミック上の兄弟ユニット)としてプロレス史に名を残した(Online World of Wrestling: The Graham Family)。
  7. ^ a b Capitol-WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  8. ^ The CWC matches fought by Eddie Graham in 1960”. Wrestlingdata.com. 2015年3月5日閲覧。
  9. ^ The CWC matches fought by Eddie Graham in 1961”. Wrestlingdata.com. 2015年3月5日閲覧。
  10. ^ a b All Asia Tag Team Title Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月30日閲覧。
  11. ^ The IWE matches fought by Eddie Graham in 1967”. Wrestlingdata.com. 2015年3月5日閲覧。
  12. ^ NWA Superbowl of Wrestling”. Cagematch.net. 2015年3月5日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1978”. The History of WWE. 2010年8月5日閲覧。
  14. ^ The AJPW matches fought by Eddie Graham in 1967”. Wrestlingdata.com. 2015年3月5日閲覧。
  15. ^ 『Gスピリッツ Vol.19』P70(2011年、辰巳出版ISBN 4777808920
  16. ^ 『Gスピリッツ Vol.18』P48(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661
  17. ^ Tampa Bay Tribune: Self-inflicted gunshot kills Eddie Graham”. Wrestling-Titles.com. 2009年11月23日閲覧。
  18. ^ N.W.A. Championship Wrestling from Florida”. Wrestling-Titles.com. 2009年11月23日閲覧。
  19. ^ Florida Championship Wrestling/Professional Wrestling Federeation”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  20. ^ Mike Graham tragedy - commits suicide like father and son before him”. Cageside Seats.com. 2015年10月9日閲覧。
  21. ^ Cause of death for Mike Graham”. PW Insider.com. 2015年10月9日閲覧。
  22. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  23. ^ NWA Florida Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  24. ^ NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  25. ^ NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  26. ^ NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月24日閲覧。
  27. ^ NWA World Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  28. ^ NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  29. ^ NWA Southern Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  30. ^ World Heavyweight Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2024年7月5日閲覧。
  31. ^ NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月5日閲覧。
  32. ^ WCW Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。

外部リンク

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