エドゥアール・ドゥバ=ポンサン | |
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Edouard Debat-Ponsan | |
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生誕 |
1847年4月25日 フランス,トゥールーズ |
死没 |
1913年1月29日 フランス,パリ |
運動・動向 | アカデミック美術 |
エドゥアール・ドゥバ=ポンサン(Edouard Bernard Debat-Ponsan 1847年4月25日 - 1913年1月29日)はフランスの画家である。歴史画、オリエンタリズムの絵画、農村の風景などを描いた。
トゥールーズに生まれた。トゥールーズの国立高等美術学校で学んだ後、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)でアレクサンドル・カバネルに学んだ。1877年に奨学金を得て、イタリアを旅した。1882年から1883年の間は美術学校の仲間で、義理の兄弟となったジュール・アルセーヌ・ガルニエ(Jules-Arsène Garnier:1847-1889)とアンリ=ウジェーヌ・ドラクロワ(Henri-Eugène Delacroix、大画家のウジェーヌ・ドラクロワの血縁ではない。)とトルコを旅し、オリエンタリズムの絵画も描いた。
政治的には共和主義者でドレフュス事件ではアルフレド・ドレフュスの擁護者として活動した。
息子はローマ賞を受賞した建築家のジャック・ドゥバ=ポンサン(Jacques Debat-Ponsan:1882-1942)である。娘が小児科学の創始者、ロベール・ドブレ(Robert Debré)と結婚し、第五共和政の最初の首相ミシェル・ドブレ(1912–1996)は孫にあたる。