エドマンド・モーティマー Edmund Mortimer | |
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本名 | エドマンド・モーティマー・オルスン Edmund Mortimer Olson |
別名義 |
エドワード・モーティマー Edward Mortimer エドウィン・モーティマー Edwin Mortimer |
生年月日 | 1874年8月21日 |
没年月日 | 1944年5月21日(69歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市 |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス市 |
職業 | 俳優、映画監督、脚本家 |
ジャンル | 舞台、サイレント映画、トーキー |
活動期間 | 1900年代 - 1944年 |
配偶者 | ルイーズ・ベイツ |
エドマンド・モーティマー(Edmund Mortimer, 1874年8月21日 - 1944年5月21日)は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家である[1]。本名エドマンド・モーティマー・オルスン(Edmund Mortimer Olson)、エドワード・モーティマー(Edward Mortimer)、エドウィン・モーティマー(Edwin Mortimer)ともクレジットされた[1]。
1874年(明治7年)8月21日、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれる[1]。
当初のキャリアは舞台俳優である。1904年(明治37年)12月から1905年(明治38年)11月にかけての約1年間、ニューヨーク西42番街のルー・M・フィールズ劇場で It Happened in Nordland の舞台に立った記録がある[2]。1913年(大正2年)まで舞台で活躍している[2]。
満40歳を迎える1914年(大正3年)、ハーバート・ブレノン監督の短篇映画 Watch Dog of the Deep に「エドワード・モーティマー」の名で出演したのが、もっとも古い映画への出演記録で、以降、映画俳優に転向、インディペンデント・ムーヴィング・ピクチャーズの作品に出演する[1]。1915年(大正4年)に同社を離れ、1916年(大正5年)、クララ・キンボール・ヤングが主宰するプロダクションで彼女の主演作『日蔭の女』に出演した後、1918年(大正7年)にクララが主演する同社のサイレント映画 The Savage Woman で監督としてデビュー、以降、監督業に専念する[1]。同年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)傘下のブルーバード映画で、カーメル・マイヤースを主演に『社交界の花形』を監督[1]、同作は日本でも公開された[3]。1928年(昭和3年)、マーガレット・リヴィングストン主演のサイレント映画『男性の敵』を監督したのを最後に、監督業を廃業する[1]。
1930年(昭和5年)以降、トーキーにノンクレジットで出演する脇役俳優となり、最晩年まで映画出演を続け、サム・ウッドが監督した『サラトガ本線』にノンクレジットで出演したのが最後となった[1]。
1944年(昭和19年)5月21日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で死去した[1]。満69歳没。遺作となった『サラトガ本線』は没後の1945年(昭和20年)11月21日に公開された[4]。
特筆を除きすべて出演作である[1]。1930年代以降のトーキーの時代に300作近い作品に、ノンクレジットで脇役・端役として出演している[1]が、割愛した。