エドワード・ウォーレン・クラーク (Edward Warren Clark、1849年 1月27日 - 1907年 6月5日 )は、アメリカ合衆国 の教育者 、牧師 。明治時代 の日本で、教育者として活動し、その経験を帰国後に著書『Life and Adventure in Japan 』(1878年 )にまとめた[ 1] 。ミドルネームは「ワレン」と表記される場合もある。
1869年 会衆派教会の牧師の父につれられてヨーロッパを旅行、スイスのジュネーブに留学し神学校で学ぶ[ 3] 。
1871年
1872年
1873年
1874年 クラークのコック、仙太郎 (サム・パッチ)脚気により死去[ 6] 。
1874年 12月31日 開成学校の任期を終える。
1875年 3月 アメリカに帰国し、ニューヨーク に住む。後にフィラデルフィア 神学校に入学して、牧師 になる。
1878年 日本での経験を元に、Life and adventure in Japan(邦訳 日本滞在記)を出版。
1879年 ルイーズ・マカロシュ(Louise McCuloch)と結婚。
1880年 アジア旅行の見聞をまとめた、From Hong-Kong to the Himalayas: or, Three Thousand Miles through Indiaを出版[ 3] 。論文 International Relations with Japanを発表[ 3] 。
1880年 9月2日 第一子 Edith Louise誕生[ 3] 。
1882年 2月17日 第二子 Edward Warren誕生[ 3] 。
1883年 眼病のため牧師を引退。フロリダに農園を手に入れ「シズオカ」と命名する。
1884年 3月16日 第三子(双子) Naomi Walton , Ruth Lawton誕生[ 3] 。
1887年 2月26日 第五子 Henry McCullough誕生[ 3] 。
1887年 テネシー州コロンビアに移る[ 20] 。
1889年 1月10日 第六子 Robert Ernest誕生[ 3] 。
1891年 1月24日 第七子Lucius Leman誕生[ 3] 。
1892年 イリノイ州ロックフォードに移る[ 20] 。
1894年 再来日して勝海舟に再会。勝はこの時の大政奉還等に関する対話をまとめ、この年10月に『幕府始末』を著した[ 20] [ 21] 。
1896年 7月1日 第八子 Marjorie Wellington誕生[ 3] 。
1904年 勝海舟の伝記『Katz Awa, "the Bismarck of Japan", or, The story of a noble life (カツ・アワ・日本のビスマルク 高貴なる生活の物語)』を出版。
1907年 6月5日 肺結核のためニューヨークにて召天[ 3] 。
彼は、1873年 8月末と9月に富士登山を行っている。1回目は天候が悪く頂上に行くことができていないが、2回目では成功している。彼は山頂の標高を自分で測定したいと考えて観測機材を用意していた。しかし荷物を運んでいた案内人が山頂まで登ってこず、合流できたポイントで測定している。このとき測定したポイントの標高は約11000(3353m)フィートで、山頂は11560フィート(3523m)強であろうと推測している[ 22] 。
1873年 8月末に富士登山を行った後、供に登ったジェームス・ハミルトン・バラ 宣教師はクラーク 邸を訪問している[ 17] 。
彼は、自分を静岡学問所 に導いた勝海舟 の事を非常に尊敬していた。そのため、1873年 に自ら撮影した静岡の風景写真集を勝海舟へ贈っている。これは現在『静岡風景』 として早稲田大学図書館に保存されていて、画像データもダウンロード可能になっている。
1875年 にクラーク が米国に帰国する際に畠山義成 と再会を約束しあい、一年後に畠山は渡米しているが1日違いで会うことがかなわなかった。その後、畠山は日本に帰国の途中で結核により死去。[ 3]
1894年 にクラーク が再来日した際に徳川慶喜 に邸内の撮影をさせてもらえるように願い出ているが、かなっていない[ 23] 。
^ “Life and adventure in Japan (c1878) ”. University of California. 2013年6月11日 閲覧。 邦訳『日本滞在記』飯田宏訳、講談社、1967年
^ E.Wクラーク 飯田宏訳 (1967年10月20日). 『日本滞在記』 . 講談社. p. 231
^ a b c d e f g h i j k l m n o 渡辺正雄 (1876年4月20日). お雇い米国人科学教師 . 講談社. p. 154-165
^ 6「静岡学問所之碑」~明治初期の最高学府~ - 静岡県立中央図書館
^ a b 樋口雄彦 (2010年8月10日). 静岡学問所 . 静岡新聞社. p. 182
^ a b E.Wクラーク 飯田宏訳 (1967年10月20日). 『日本滞在記』 . 講談社. p. 238
^ a b c 樋口雄彦 (2010年8月10日). 静岡学問所 . 静岡新聞社. p. 183
^ a b 前田匡一郎 (2003年10月10日). 慶喜邸を訪れた人々 . 羽衣出版. p. 25
^ 『静岡英和女学院百年史』(百年史編纂委員会、1990年) P36
^ a b 飯田宏 (1967). 静岡県英学史 . 講談社. p. 23
^ 守部(2011)64頁
^ E.Wクラーク 飯田宏訳 (1967年10月20日). 日本滞在記 . 講談社. p. 85
^ ふるさと百話 第九巻 . 静岡新聞社. (1973年5月1日). p. 225
^ 相良町史 通史編 下 . 相良町. (1996年5月30日). p. 103
^ a b 樋口雄彦 (2010年8月10日). 静岡学問所 . 静岡新聞社. p. 185
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^ 勝海舟全集 11 . 勁草書房. (、1975年8月25日). pp. 534-535
^ 山本秀峰 (2012年11月20日). 『富士山に登った外国人』 . 露蘭堂. p. 62
^ 前田匡一郎 (2003年10月10日). 慶喜邸を訪れた人々 . 羽衣出版. p. 240
『日本キリスト教大事典』教文館 、1988年
守部喜雅 『勝海舟 最後の告白』いのちのことば社 、2011年
高橋昌郎 『明治時代のキリスト教』吉川弘文館 、2003年
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『静岡教会一二五年史』125年史編纂委員会、2009年
山本秀峰 『富士山に登った外国人』露蘭堂 ,2012年11月20日
E.Wクラーク著 飯田宏 訳『日本滞在記』講談社、1967年10月20日
E.Wクラーク『静岡風景』1873年 早稲田大学図書館所蔵
渡辺正雄著『お雇い米国人科学教師』講談社、1876年4月20日
山下太郎『明治の文明開化のさきがけ』叢書パイデア、1995年9月25日
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樋口雄彦『静岡学問所』静岡新聞社、2010年8月10日
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