エドワード・ワズワース Edward Wadsworth | |
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1916年当時 | |
生誕 |
1889年10月29日 イギリス イングランド クレックヒートン |
死没 |
1949年6月21日(59歳没) イギリス イングランド ベイズウォーター |
運動・動向 | シュルレアリスム |
エドワード・アレクサンダー・ワズワース(英語: Edward Alexander Wadsworth, 1889年10月29日 - 1949年6月21日)は、イギリスの画家。
ウェスト・ヨークシャーのクレックヒートン(Cleckheaton)で生まれた。エディンバラで学んだ後[1]、1906年からミュンヘンで工学を学び、余暇に画家、ハインリヒ・クニルの画塾で絵画を学んだ。イギリスに戻った後、ウェスト・ヨークシャーの工芸学校で学んだ後、ロンドンのスレード美術学校で学んだ。同じ時期の学生にはスタンリー・スペンサー、C.R.W. ネヴィンソン、マーク・ガートラー、ドーラ・キャリントン、デビッド・ボンバーグらがいた。
1912年にロンドンで開かれた、ロジャー・フライらによって開かれた第2回ポスト印象派展に出展したが、ヴォーティシズムを組織することになる画家、パーシー・ウインダム・ルイスと友人になり「未来派」の展覧会にも出展した。1913年にイタリアの未来派のオーガナイザー、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティと会合したが、イギリスの芸術家の多くは、高慢なこのイタリア人に幻滅したとされる[2] 。1914年7月までルイスらのグループに属していて、ヴォーティシズムの機関紙『BLAST』に掲載された設立宣言に署名した一人となった。設立宣言が公表された33日後には第一次世界大戦が始まり、ヴォーティシズムの展覧会の準備は続けられたが、メンバーが戦死したりした。
ワズワースもイギリス海軍の予備部隊に配属され、画家のノーマン・ウィルキンソンとともに、艦船の迷彩塗装「ダズル迷彩」の開発に従事し、1917年まで働き、200隻以上の軍用船の迷彩塗装を監督した[3]。
1920年代、30年代には、シュルレアリスムに向かった。ワズワースのシュルレアリスム作品は、ピエール・ロワ風の、単純にものを組み合わせた風景の中に、奇妙な感興を滑り込ませるものである。ただ、フランスのシュルレアリスムとは異なり、海を舞台とする作品も多く、「海のシュルレアリスム」と呼ばれる作品がある。これは第一次大戦中に2,000以上の軍艦の迷彩を指導したこと関連があると思われる(詳細はダズル迷彩を参照)。