エフィンガム伯爵(英語: Earl of Effingham)は、イギリスの伯爵位。
第1期は1731年にグレートブリテン貴族として、第2期は1837年に連合王国貴族として創設されており、第2期の家系が現存している。第1期と第2期いずれも第2代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの五男ウィリアム・ハワードの流れを汲む。
関連する爵位としてエフィンガムのハワード男爵(Baron Howard of Effingham)とノッティンガム伯爵(第6期)についても触れる。
第2代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの五男ウィリアム・ハワードは1554年にイングランド貴族「カウンティ・オブ・サリーにおけるエフィンガムのハワード男爵(Baron Howard of Effingham, in the County of Surrey)」に叙された[1]
このエフィンガムのハワード男爵位を継承した長男チャールズは、1585年から1619年にかけて海軍卿を務め、1588年にはアルマダ海戦でスペイン無敵艦隊を撃破した。その功績で1596年にイングランド貴族「ノッティンガム伯爵(Earl of Nottingham)」位を授与されている[2]。
このノッティンガム伯爵位は1681年に第3代伯爵チャールズが後継者を残さなかったことで絶えたが[3]、エフィンガムのハワード男爵位の方は初代ノッティンガム伯爵チャールズの弟サー・ウィリアム・ハワードの曾孫フランシスに継承された[4]。
その次男の第7代エフィンガムのハワード男爵フランシスは1731年にグレートブリテン貴族「カウンティ・オブ・サリーにおけるエフィンガム伯爵(Earl of Effingham, in the County of Surrey)」に叙されたが[5]、第4代エフィンガム伯爵リチャードが後継者なく1816年に死去したことで絶家し、エフィンガム伯爵位は一度消滅した[6]。
エフィンガムのハワード男爵位の方は第5代エフィンガムのハワード男爵フランシスの弟ジョージの曾孫であるケネスに継承され、彼は1837年に改めて連合王国貴族「カウンティ・オブ・サリーにおけるエフィンガム伯爵」に叙された[7]。このエフィンガム伯爵が今日まで続いており、現在の当主は第7代伯爵デイヴィッドである[8][9]。
土地はオックスフォードシャーを中心に所有しており、1883年の調査によれば5731エーカーを所有していた[10]。