エリザベス・ライアン

エリザベス・ライアン
Elizabeth Ryan
エリザベス・ライアン
基本情報
フルネーム Elizabeth Montague Ryan
愛称 Bunny(バニー)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州アナハイム
生年月日 (1892-02-08) 1892年2月8日
没年月日 (1979-07-06) 1979年7月6日(87歳没)
死没地 イングランド・ウィンブルドン
利き手
殿堂入り 1972年
4大大会最高成績・シングルス
全仏 ベスト8(1926・30・31)
全英 準優勝(1921・30)
全米 準優勝(1926)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 優勝(1930・32-34)
全英 優勝(1914・19-23・25-27・30・33・34)
全米 優勝(1926)
優勝回数 17(仏4・英12・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏 準優勝(1934)
全英 優勝(1919・21・23・27・28・30・32)
全米 優勝(1926・33)
優勝回数 9(英7・米2)

エリザベス・モンターギュ・ライアンElizabeth Montague Ryan, 1892年2月8日 - 1979年7月6日)は、アメリカカリフォルニア州アナハイム出身の女子テニス選手である。1914年から1934年までの20年間にわたって、ウィンブルドン選手権で女子ダブルス12勝、混合ダブルス7勝を挙げ、同選手権で総計「19勝」の記録を樹立した。しかし、4大大会の女子シングルスではウィンブルドンで2度、全米選手権では1度の準優勝に止まり、とうとう優勝できずに終わった。女子ダブルスでは全仏選手権でも4度の優勝がある。彼女は Bunny Ryan (バニー・ライアン)の愛称でも親しまれた。

来歴

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1914年ウィンブルドン女子ダブルスから、エリザベス・ライアンの歴史が始まる。初優勝の時は、イギリスアグネス・モートンとペアを組んだ。ところが、第1次世界大戦の勃発により、ウィンブルドン選手権も1915年から1918年まで開催が中止される。1919年、5年ぶりに再開されたウィンブルドンの女子ダブルスで、ライアンはフランススザンヌ・ランランとペアを組んで優勝し、1923年までこのペアで5連覇を達成した。しかし、1921年の女子シングルス決勝でライアンはダブルス・パートナーのランランに 2-6, 0-6 で完敗し、1回目の準優勝の苦杯をなめる。1924年はランランが病気のため出場できなくなり、2人のダブルス連覇記録は止まったが、1925年にペアとして2年ぶり6度目(ライアンは7度目)の優勝を決めた。

1926年にランランが世界初の「プロテニス選手」になったことから、ライアンはダブルス・パートナーの変更を余儀なくされ、1926年は同じアメリカメアリー・ブラウンと組んで優勝する。その後、1927年1930年は同じアメリカのヘレン・ウィルス・ムーディと組み、1933年1934年フランスシモーヌ・マチューと組んだ。こうしてエリザベス・ライアンのウィンブルドン女子ダブルス優勝は「12勝」となったが、9年ぶりに進出した1930年の女子シングルス決勝ではムーディに 2-6, 2-6 で敗れ、結局シングルスでは2度の準優勝に終わってしまう。混合ダブルス7勝は、1919年1921年1923年の3回はイギリスランドルフ・ライセットと組んだが、以後の4回はそれぞれ違う選手と組んでいる。

エリザベス・ライアンの他の4大大会成績は、全米選手権では1926年の女子シングルス決勝でノルウェーモーラ・マロリーに 6-4, 4-6, 7-9 の逆転で敗れた準優勝がある。同選手権では1926年に女子ダブルス・混合ダブルスの2部門を制し、1933年に混合ダブルスの優勝を加えた。全仏選手権では女子ダブルスで4度優勝し、1930年1932年ヘレン・ウィルス・ムーディと組み、1933年1934年シモーヌ・マチューと組んでいる。ライアンはキャリアの晩年に、全仏選手権で1932年から1934年にかけて女子ダブルス3連覇を成し遂げた。マチューとのペアで全仏選手権とウィンブルドン選手権の女子ダブルスを2連覇した後、1934年に現役を退いたライアンは、42歳を迎えるまでダブルスの頂点にとどまったのである。

1972年国際テニス殿堂入り。それから7年後の1979年7月8日、87歳のエリザベス・ライアンはウィンブルドン選手権の試合会場でマルチナ・ナブラチロワクリス・エバートの女子シングルス決勝を観戦した。翌日の女子ダブルス決勝には、4年前の1975年に女子シングルス6勝目でライアンの最多優勝記録に並んでいたビリー・ジーン・キング夫人が、ナブラチロワとのペアで出場することになっていた。(それまでのキング夫人のウィンブルドン優勝記録:女子シングルス6勝+女子ダブルス9勝+混合ダブルス4勝=総計19勝)ところが、7月8日の夜にライアンは突然の心臓発作で倒れ、病院へ運ばれる途中に息絶えた。7月9日の女子ダブルス決勝で、キング夫人とナブラチロワの組が優勝を飾り、キング夫人はライアンが45年間保持したウィンブルドン最多優勝記録を更新して「20勝」の大台に乗せた。ライアンの死去にまつわるエピソードは、今なお女子テニスの歴史に残る珍事として語り継がれている。

4大大会ダブルス優勝

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  • ウィンブルドン選手権 女子ダブルス:12勝(1914年・1919年-1923年・1925年-1927年・1930年・1933年&1934年)/混合ダブルス:7勝(1919年・1921年・1923年・1927年&1928年・1930年・1932年) [女子シングルス準優勝2度:1921年・1930年]
  • 全仏選手権 女子ダブルス:4勝(1930年・1932年-1934年)
  • 全米選手権 女子ダブルス:1勝(1926年)/混合ダブルス:2勝(1926年・1933年) [女子シングルス準優勝1度:1926年]

外部リンク

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