エリザベット・ド・フォントネ 2009年 | |
人物情報 | |
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全名 | エリザベット・ブールドー・ド・フォントネ |
生誕 |
1934年 (84歳) フランス・パリ |
学問 | |
研究分野 | 哲学 |
研究機関 | パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学 |
学位 | 哲学博士 |
特筆すべき概念 | 動物性 (動物福祉), ヴュルネラビリテ(弱さ、傷つきやすさ) |
主要な作品 |
『動物たちの沈黙 ―《動物性》をめぐる哲学試論』 Diderot ou le matérialisme enchanté (ディドロあるいは魔法の唯物論) Gaspard de la nuit. Autobiographie de mon frère (夜のガスパール ― 私の弟の自伝) |
影響を受けた人物 | カール・マルクス、ドゥニ・ディドロ、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ |
主な受賞歴 | 2018年フェミナ賞随筆部門受賞 |
エリザベット・ド・フォントネまたはエリザベート・ド・フォントネ(Élisabeth de Fontenay、1934年 - )はフランスの哲学者、評論家、パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学の哲学名誉教授。特にユダヤ性、「動物性」、ヴュルネラビリテ(弱さ、傷つきやすさ)、沈黙をめぐる哲学で知られている。代表作に『動物たちの沈黙 ―《動物性》をめぐる哲学試論』(彩流社) などがある。また、知的障害のある弟を描いた『夜のガスパール』(未訳) により2018年フェミナ賞随筆(評論)部門を受賞した。
1934年、エリザベット・ブールドー・ド・フォントネとしてパリに生まれた。父アンリ・マリー・ジョゼフ・ブールドー・ド・フォントネ (1900-1969) は右派カトリックの家系の出で、反ファシズムを掲げたフランス人民戦線 (1936-37) を支持する弁護士であった。マキとしてレジスタンスに積極的に参加し、1944年1月には(ナチス・ドイツ占領下で秘密裏に)ルーアンの共和国警察署長に任命された。さらに戦後はシャルル・ド・ゴールにフランス国立行政学院の初代学長に任命された。ド・フォントネはこうした父の経歴を「古い極右カトリック家系の出として模範的」なものと表現している[1]。
一方、母ネシア・オルンスタン(ホーンスタイン)は歯科医であったが、母方の両親はオデッサ(ウクライナ)の出身で、1905年のポグロムを逃れてフランスに亡命。ネシア自身はアンリと結婚するためにカトリックに改宗したが、彼女の一族は皆、アウシュヴィッツで殺されていた。だが、ネシアは娘エリザベットにこうした過去について一切語らず、娘に洗礼を受けさせ、カトリック系の私塾サント=マリー・ド・ヌイイ校に入れた[2]。
だが、ド・フォントネは、ジャン=ポール・サルトルの『ユダヤ人』(ユダヤ人問題についての考察, 1946)を読んだこと、ローマ教皇ピウス12世がナチスによるユダヤ人虐殺を知りながら止めようとしなかったこと、第三次中東戦争、1969年1月の父アンリの死、セルジュ・クラルスフェルトが作成したホロコースト犠牲者名簿に親族の名前があったことなどを通じて、次第にユダヤ人問題に関心を抱くようになり、母ネシアにより課された「忘れる義務」の代わりに「記憶する義務」を自らに課し、22歳でユダヤ教に改宗した[3]。
ド・フォントネはさらに、自らを父方の「反ユダヤ主義的なキリスト教」と母方の「迫害されたユダヤ教」が出会う場として位置づけ、この矛盾を生きることから、「生きているもののヴュルネラビリテ(弱さ、傷つきやすさ)」、「弱い者や愚かな者のヴュルネラビリテ」、「声なき者のヴュルネラビリテ」、「生まれたばかりの子供のヴュルネラビリテ」に思いを馳せるようになった[4]。ド・フォントネが「動物性」や動物福祉を哲学の中心的課題としたのもこうした経緯があってのことであり、代表作『動物たちの沈黙』でも、以上のような観点から約2500年にわたる西洋思想史、とりわけデカルトの動物機械論や行動主義心理学を問い直している[5][6]。また、2011年から2014年までラジオ局フランス・アンテルの「動物と共に生きる」という番組を担当した。
ド・フォントネは影響を受けた哲学者として特にウラジミール・ジャンケレヴィッチ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダを挙げている。ジャンケレヴィッチとは1968年に出会い、ソルボンヌ大学で彼の助手を務めた[1][7]。
一方、心理学ではラカン派のモード・マノーニに負うところが大きいという。特に彼女が知性(知能)の評価や定性化を嫌ったこと、知的障害を心理的な抵抗と解釈したことに共感している[5]。ド・フォントネが著書『夜のガスパール』で知的障害のある弟を描いたのも、「自我の不在」、「人間の謎」である弟を表現することで「存在させる」ためであり、この意味で彼女のこれまでの哲学的探究の延長線上にある。この著書は2018年フェミナ賞評論(随筆)部門を受賞した。
ユダヤ人問題については、ショア記念館財団のショア(ホロコースト)教育委員会の委員長を務めるほか[8]、『フランスにおける新たな反ユダヤ主義』などの序文を書いている[9]。
Elisabeth de Fontenay: Les silences d'une vie (エリザベット・ド・フォントネ ― 1つの人生の複数の沈黙)
Elisabeth de Fontenay : «Je voulais faire le portrait de mon frère tel qu’il s’est dérobé aux siens et au monde» (エリザベット・ド・フォントネ ―「身内の者や世間から離れて行った弟の肖像画を描きたいと思った」--- インタビュー