エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド | |
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2008年、ウィーンにて。クリスティアン・ミヒェリデスが撮影。 | |
生誕 |
1917年3月8日 ドイツ ミュンヘン |
死没 |
2010年11月12日 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 レバレット(Leverett) |
国籍 | ドイツ→アイルランド→イタリア→アメリカ合衆国 |
出身校 | ウィーン大学、Lyceum Alpinum Zuoz |
親 | 父 レオポルド(写真家) |
受賞 | アメリカサイバネティクス学会 ウォーレン・マッカローチ記念賞 |
栄誉 |
クラーゲンフルト大学名誉博士 オーストリア科学芸術勲章第1等級 インスブルック大学名誉博士 |
エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド(Ernst von Glasersfeld、1917年3月8日 - 2010年11月12日)は、ドイツ出身の哲学者・心理学者である。ジョージア大学心理学名誉教授、科学推論研究所研究員、マサチューセッツ大学アマースト校心理学科非常勤教授を務めた。アメリカサイバネティクス学会の評議員を務め、1991年にマッカローチ記念賞を受賞した。リスボンのInstituto Piagetの科学委員会のメンバーだった。
フォン・グレーザーズフェルドは1917年3月8日にドイツ・ミュンヘンで生まれた。父のレオポルドはウィーンで文化アタッシェを務めた後、第一次世界大戦後に写真家となった。
フォン・グレーザーズフェルドはウィーン大学で数学を専攻していたが、ナチスの脅威にさらされて、転居を余儀なくされた。それは、ナチスが「あらゆる形のナショナリズムの敵」とみなしていた汎ヨーロッパ主義(en:Pan-European identity)(リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの思想)を支持する家族がいたことと、祖父がユダヤ人(ただし、ローマ・カトリックに改宗していた)であったためである[1]。そのため、彼は生涯の大半をドイツ国外で過ごした。1940年代にはアイルランド、1950年代にはイタリアに住んでおり、シルヴィオ・チェッカートと一緒に研究をしていた。その後、アメリカ合衆国に移住した。彼は、ジャンバッティスタ・ヴィーコ、ジャン・ピアジェの発達的認識論、ジョージ・バークリーの知覚理論、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』やその他の重要なテキストを研究し、それに基づいて精緻化した。また、これらの作家たちに共通するエートスとして「ラディカル構成主義」のモデルを開発した。
2010年11月12日にマサチューセッツ州フランクリン郡レバレットで亡くなった。
インスブルック大学にはエルンスト・フォン・グレーザーズフェルド・アーカイブが設置されており、フォン・グレーザーズフェルドの著作を管理し、講演会を開催している。2017年にはフォン・グレーザーズフェルドの生誕100周年を記念して、インスブルック大学で国際会議"Radical Constructivism - Past, Present and Future"(ラディカル構成主義―過去・現在・未来)が開催された。