Hervé Bromberger エルヴェ・ブロンベルジェ | |||||
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生年月日 | 1918年11月11日 | ||||
没年月日 | 1993年11月25日(75歳没) | ||||
出生地 | フランス ブーシュ=デュ=ローヌ県マルセイユ | ||||
死没地 | フランス | ||||
国籍 | フランス | ||||
民族 | ユダヤ人 | ||||
職業 | 映画監督、脚本家、小説家 | ||||
ジャンル | 映画、小説 | ||||
活動期間 |
小説 1944年 - 1959年 映画 1946年 - 1982年 | ||||
活動内容 |
1944年 小説を上梓 1946年 助監督 1949年 監督デビュー 1972年 テレビ映画に専念 1982年 引退 | ||||
著名な家族 |
メリ・ブロンベルジェ(姉) セルジュ・ブロンベルジェ(兄) | ||||
主な作品 | |||||
監督 『鑑識』 『野生の果実たち』 脚本 『ヴィオレット・ノジエール』 | |||||
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エルヴェ・ブロンベルジェ(Hervé Bromberger、1918年11月11日 - 1993年11月25日)は、フランスの映画監督、脚本家である。映画プロデューサーのピエール・ブロンベルジェの姓Braunbergerとは綴りが違う。
1918年(大正9年)11月11日、フランス・ブーシュ=デュ=ローヌ県マルセイユに生まれる。姉に作家のメリ・ブロンベルジェ、兄に同じくセルジュ・ブロンベルジェがいる。
1944年(昭和19年)ごろは、20代半ばで小説を発表していたが、映画界に転向、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、20代後半のころ、助監督としてアンリ・ドコワンやジャン・コクトーに師事する。
1949年(昭和24年)、30歳のときに『ある夜の見知らぬ男』で監督としてデビューする。1951年(昭和26年)にラウール・レヴィのプロデュースにより監督した『鑑識』が第4回カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされ、コンペティション部門で上映された。1954年(昭和29年)、『野生の果実たち』がロカルノ国際映画祭に出品され、金豹賞を受賞した。
1960年代に入ると、作品数が減り、1972年(昭和47年)にはテレビ映画に専念する。1978年(昭和52年)、イザベル・ユペールがヴィオレット・ノジエールを演じたクロード・シャブロル監督の問題作『ヴィオレット・ノジエール』に脚本を提供する。同作は第31回カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされ、ユペールが最優秀女優賞を受賞している。1982年(昭和57年)には64歳で引退した。