エレオノーレ・ハプスブルク=ロートリンゲン(ドイツ語: Eleonore Habsburg-Lothringen、1994年2月28日 - )は、オーストリア・ザルツブルク出身の女性モデル[2]。しばしば「エレオノーレ・フォン・ハプスブルク」の名や「オーストリア大公女」などの伝統的称号で呼ばれる。
1994年2月28日、カール・ハプスブルク=ロートリンゲンとその妻フランツェスカ・ティッセン=ボルネミッサの間に第1子(長女)として生まれた[注釈 1]。
スイスの名門校「ル・ロゼ」を経て[2]、法律を学ぶためにヨーロピアン・ビジネス・スクール・ロンドン(英語版)へ通い、2017年7月に学業を修めてモデルの世界へ入った。なお母フランツェスカとその母フィオナ・キャンベル=ウォルター(フランス語版)も、若い頃モデルとして働いていた[3]。
オットー・ハプスブルク財団(ハンガリー語版)の理事の一人[1]。
エピソード[編集]
- 今なおハプスブルク家の子女は、伝統に従って多くの言語を学ばせられる。エレオノーレの場合は、ドイツ語と英語を流暢に話すことができ、さらに上級のフランス語と初歩のスペイン語を操れるという[3]。
- 尊敬する女性は先祖でもある「女帝」マリア・テレジアだという[2]。ハプスブルク家に生まれたことは誇りに思うが、一方で現代人として見られることも大切だと考えている。一般人として自由な私生活を送れることは喜ばしく、イギリス王室のように常に観察される生活は嫌だと語っている[4]。
- 学校の授業などでしばしば「ハプスブルク一族ならそれを知っているべきだ!」と言われたり、歴史や君主制に腹を立てる人がいたりして、「私は普通の女の子なのに」と辟易したという[4]。
- 祖父母はジャマイカに不動産を所有しており、そこに勤める使用人の娘はエレオノーレの人生を勝手に想像して、お城に住む、ドレスと王冠で着飾ったお姫様の絵を描いた。ジーンズとシャツを着た実際のエレオノーレを見て、彼女はひどく失望したという[4]。
2020年7月20日にレーシングドライバーのジェローム・ダンブロシオとモナコで民事婚を挙げた。2021年10月20日に男児を出産し[5]、祖父のオットー・フォン・ハプスブルクにちなんでオットーと名付けられた。
- ^ a b “A Habsburg Ottó Alapítvány elnöke lett Orbán titokzatos svájci barátja”. Átlátszó.hu(ハンガリー語版). (2017年8月8日). https://atlatszo.hu/2017/08/08/a-habsburg-otto-alapitvany-elnoke-lett-orban-titokzatos-svajci-baratja/ 2019年10月6日閲覧。
- ^ a b c “アルプスが育んだ、エレオノーレ大公女の知的でエレガントな輝き。【#ワールドビューティーゴシップ】”. VOGUE. (2018年7月19日). https://www.vogue.co.jp/beauty/worldbeauty/2018-07-19/wbg 2018年9月29日閲覧。
- ^ a b “Die neue Laufsteg-Kaiserin”. マドンナ(ドイツ語版). (2018年3月2日). https://madonna.oe24.at/fashion/Die-neue-Laufsteg-Kaiserin/324353699 2019年2月13日閲覧。
- ^ a b c “Eleonore Habsburg im MADONNA-Talk”. マドンナ(ドイツ語版). (2018年11月2日). https://madonna.oe24.at/magazin/Eleonore-Habsburg-im-MADONNA-Talk/354500740 2019年1月17日閲覧。
- ^ “Ihr Sohn hat das Licht der Welt erblickt”. Gala. 2022年1月9日閲覧。
外部リンク[編集]