エレン・デイ・ヘール

エレン・デイ・ヘール
Ellen Day Hale
生誕 1855年2月11日
USA, ウースター
死没 1940年2月11日
USA, ブルックライン
テンプレートを表示

エレン・デイ・ヘール(Ellen Day Hale、1855年2月11日 - 1940年2月11日)は、アメリカ合衆国の女性画家である。

略歴

[編集]

マサチューセッツ州ウースターに生まれた。父親のエドワード・エヴァレット・ヘール(1822-1909)はボストン・ブラーミン(Boston brahmin)と呼ばれる名門家族の出身の聖職者、著述家で上院議員も務めた人物である。5人の弟がいて、フィリップ・レスリー・ヘール(Philip Leslie Hale:1865-1931)も印象派の画家として知られ、 ハーバート・ヘール(Herbert Dudley Hale:1866-1908)は、有名な建築会社、Hale and Rogersの経営者となった。 母方の祖母のメアリー(Mary Foote Beecher: 1805–1900)は有名なビーチャー家の出身で祖母の妹に有名な作家のハリエット・ビーチャー・ストウがいる。おばに水彩画家のスーザン・ヘール(Susan Hale:1833-1910)がいて、いとこには「黄色い壁紙」などの作品を書いた作家のシャーロット・パーキンス・ギルマンもいる。

1873年からボストンの彫刻家、画家のウィリアム・リマー(William Rimmer)の個人教授を受け、1874年にはボストンの私立の美術学校でウィリアム・モリス・ハントやノールトン(Helen M. Knowlton:1832-1918)にも学んだ。

1878年からフィラデルフィアペンシルベニア美術アカデミートマス・エイキンズ(Thomas Eakins)に学んだ。1881年にはノールトンとベルギー、オランダ、イタリア、イギリス、フランスを旅し、ベルギーとフランスでは、フランスに留学にする遠い親戚の女性画家、マーガレット・レスリー(Margaret Lesley Bush-Brown:1857–1944)に同行した。パリでは彫刻家のエマニュエル・フレミエに学び、アカデミー・コラロッシで学んだ。1882年9月にロンドンの王立美術院でしばらく学んだ後、パリに戻り、アカデミー・ジュリアンで3年間、トニ・ロベール=フルーリージュール・ジョゼフ・ルフェーブルウィリアム・アドルフ・ブグローに学んだ。

アメリカで知り合っていた、画家、版画家のガブリエル・クレメンツ(Gabrielle D. Clements:1858–1948)が1884年にパリに移ってきて、アカデミー・ジュリアンに入学した。1885年に2人は、サロン・ド・パリに出展した。その後2人は協力してアメリカ合衆国で活動していくことになった。

作品

[編集]

参考文献

[編集]
  • Thieme-Becker: Allgemeines Lexikon der bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Ha-Hei, S. 82. Seemann, Leipzig 2008, ISBN 978-3-86502-177-9