エンリケ・アンデルソン・インベル | |
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![]() 1980年 | |
誕生 |
1910年2月12日 コルドバ |
死没 |
2000年12月6日(90歳没) ブエノスアイレス |
職業 | 小説家、随筆家、学者 |
国籍 |
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代表作 | 魔法の書 |
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エンリケ・アンデルソン・インベル(Enrique Anderson-Imbert、1910年2月12日 - 2000年12月6日)は、アルゼンチンの小説家、随筆家、大学教授。
アンデルソン・インベルはコルドバに生まれた。4歳でブエノスアイレスに、さらに8歳でラプラタに移った。そこの国立大学で学び、18歳でブエノスアイレス大学に入学。ペドロ・エンリケス・ウレーニャ(Pedro Henríquez Ureña)から文献学を、アレハンドロ・コルン(Alejandro Korn)から哲学を学んだ。1930年からクヨ国立大学(National University of Cuyo)で、その後はトゥクマン大学(National University of Tucumán)で教鞭を執った。それと並行して、ブエノスアイレスの社会主義新聞「La Vanguardia」の文学部門の編集を行った。1947年、フアン・ペロン政権の誕生でトゥクマン大学の教授職を失い、グーゲンハイム奨学金でアメリカ合衆国に渡り、コロンビア大学、ミシガン大学で教えた。1965年、ハーバード大学のスペイン文学部の「Victor S. Thomas Professor」に就任し、1980年まで勤めた。1979年にはアルゼンチン文学アカデミー(Argentine Academy of Letters)会員に選ばれた。
教職を引退後、著作活動に情熱を燃やし、また毎年数ヶ月はブエノスアイレスに戻った。2000年にブエノスアイレスで没したが、死の床で短編(これまでの自分の経歴の意味を明らかにするコンサートの開幕間際に、紛失していた楽譜を発見するヴァイオリニストの話)を下書きしていた。
生涯にわたって、社会主義への愛着を訴えていた。
アンデルソン・インベルの作品でおそらく最も有名なものはかなり短い「microcuentos(掌編)」で、ファンタジーとマジックリアリズムを融合させたものである。1965年に書かれた『Sala de espera』(『El gato de Cheshire』収録)や、1966年の『タブー(Taboo)』、他に『身軽なペドロ(El Leve Pedro)』、『亡霊(El Fantasma)』(以上『魔法の書』収録)、『Vudu』といった作品がある。