オライオン (英語: HMS Orion, 85) は[1]、1932年進水のイギリス海軍の軽巡洋艦[注釈 1]。
日本語ではオリオンと表記することもある[注釈 2][注釈 3]。
イギリス海軍で受け継がれてきた艦名である[注釈 4]。
リアンダー級[注釈 5]。多くの戦場を駆け抜けた武勲艦で、13個の戦闘名誉章 (Battle honor)を受賞された。
デヴォンポート海軍工廠で建造[注釈 1]。
1931年(昭和6年)9月26日、起工。1932年(昭和7年)11月24日、進水。1934年(昭和9年)1月18日竣工。ジブラルタルに派遣されたり[注釈 2]、本国艦隊に所属後、アメリカ方面に配備される。
1939年10月20日、ドイツ海軍の装甲艦(通称“ポケット戦艦”)「アドミラル・グラーフ・シュペー」が弾薬庫冷却に使われる二酸化炭素を必要としていたため、炭酸などを積んだタンカー「Emmy Friedrich」がタンピコからの出航を命じられた[6]。この船をユカタン海峡で「オライオン」と駆逐艦「サグネイ」は遠くに視認[6]。「Emmy Friedrich」はメキシコ湾へ引き返したものの、報告を受けた巡洋艦「カラドック」に捕捉され、10月23日に自沈した[7]。
1940年には地中海に移動し、イタリア王国の参戦時は地中海艦隊に所属していた。
1940年6月20日、戦艦「ロレーヌ」(フランス海軍)、軽巡洋艦「シドニー」(オーストラリア海軍)、軽巡「ネプチューン」(イギリス海軍)、駆逐艦4隻と共に出撃し、21日にリビアのバルディアに艦砲射撃を行った。6月28日、MA3作戦で出撃中であった第7巡洋艦戦隊(軽巡洋艦リヴァプール、オライオン、シドニー、グロスター、ネプチューン)はイタリア駆逐艦3隻と交戦し、駆逐艦「エスペロ」を撃沈した(エスペロ船団の戦い)。
7月、カラブリア沖海戦に参加。9月4日、ハッツ作戦の帰路、軽巡洋艦「シドニー」、駆逐艦2隻と共にカルパソス島を砲撃。同月終わり、マルタへ向かう軽巡洋艦「グロスター」と「リヴァプール」護衛のため、戦艦「ウォースパイト」や「ヴァリアント」などと共に出撃。帰投途中の10月2日、シドニーとオライオンはスタンパリア島を砲撃した。10月、マルタへの船団護衛に従事する。タラント空襲の行われた日、軽巡洋艦3隻(オライオン、シドニー、エイジャックス)と駆逐艦2隻もMB8作戦の一環としてオトラント海峡に進出し、同海峡でイタリア船団を壊滅させた(オトラント海峡海戦)。ギリシャ・イタリア戦争の激化にともない、ギリシャへの兵員輸送に従事した。
1941年1月、エクセス作戦に参加。ラスター作戦に従事する。
3月下旬、マタパン岬沖海戦に参加[注釈 6]。
4月、ギリシャからの撤退作戦(デーモン作戦)に参加。クレタ島攻防戦に従事中の5月21日、クレタ島北方でのドイツ軍侵攻船団の攻撃に参加。5月28日、クレタ島に取り残されていた連合国軍将兵を収容するため、軽任務部隊(巡洋艦エイジャックス、オライオン、ダイドー、駆逐艦6隻)がアレクサンドリアを出発して同島北岸のイラクリオンに向かった。この救援艦隊にドイツ空軍の急降下爆撃機が襲いかかり、まず軽巡1隻と駆逐艦1隻が損傷した[注釈 7]。
イラクリオンで将兵を収容して撤退行動に移ったあとの29日、再びJu87 スツーカが襲いかかった。「オライオン」と「ダイドー」は、StG77(英語版) (Sturzkampfgeschwader 77) とStG 3(英語版) (Sturzkampfgeschwader 3) 所属機の攻撃で損傷した。オライオンはサイモンズタウンでの応急修理後、当時は中立国だったアメリカ合衆国にむかった[注釈 8]。
合衆国はドイツ軍やイタリア軍と交戦して損傷したイギリス艦艇を多数受け入れており[注釈 3]、「オライアン」と「リヴァプール」は西海岸のメア・アイランド海軍造船所で修理をおこなう[注釈 9]。「オライオン」は1942年2月まで修理を行った。
1943年1月に地中海に戻り、イタリアでの作戦に従事した。1944年6月にはノルマンディー上陸作戦に参加したが、その後再び地中海に戻り、エーゲ海での作戦などに従事した。
1946年5月15日、軽巡洋艦「シュパーブ」とともにコルフ海峡を航行中アルバニア側から砲撃を受けた(コルフ海峡事件)。
1949年にスクラップとして売却された。
- ^ a b 二等巡洋艦“オリオン Orion” 全要目{排水量7,070噸 速力32.5節 備砲 15.5糎砲8門 10糎高角砲4門 魚雷發射管8門(53糎水上4聯装) 起工1931年9月 竣工1934年1月 建造所デボンポート海軍工廠} “レアンダー號”と同型艦。以上の要目の外に兵装として3ポンド砲4門その他小砲18門を有し、搭載飛行機は雷撃機1機、これが發艦用としてカタパルト1基を備へてゐる。
全長165.65米、幅16.81米、平均吃水4.87米。所謂ロンドン條約型と云はれてゐるもので現在米國の有つ既成二等巡洋艦中の最新鋭である。尚英國には建造中のものに“アンフイオン Amphion” “エージャックス Ajax” “アレスーサ Arethusa” “アポロ Apollo” “シドニー Sydney” “ガラテア Galatea” “ペネロープ Penelope”の7隻と未起工のもの5隻がある。未起工のものは何れも9,000噸型のもので15糎砲を搭載し恰も我が二等巡洋艦最上級に匹敵するものである。
- ^ a b 英海軍動靜[3](十一日ロンドン發)復役のため英本國へ歸還する第六驅逐隊は本日午後ジブラルタルを抜錨した。海軍當局の聲明によればネプチューン及オリオン兩艦は定期休暇を終へて本國艦隊司令官旗下に復役するため、ジブラルタルに歸還すべく、なほ第二巡洋艦隊司令官中将旗はオリオン號のジブラルタル到着を待つて同艦に交代される筈で、その後旗艦は本國へ歸へる筈である(記事おわり)
- ^ a b 三万五千噸級米戰艦進水(マサチューセッツ)/桑港の鼻の先にも英艦二隻碇泊修繕中[4] 既報の如く米國各軍港にて修理中の英艦は十八隻といはれるが、碇泊地秘密の六隻のうち戰艦リバプール號(九千百トン)並にオリオン號(七千二百トン)は加州メヤ島(桑港灣北隣)において修繕中である旨昨日正式に公表されたが、右の兩艦は地中海方面の戰闘で獨伊兩軍の空軍および機雷のため損害を與へられたものであるが、損害の程度は發表されず、また地中海より米國への航海路や他修繕完了期日などは秘密に附してる(記事終わり)
- ^ 先代のオライオンは、オライオン級戦艦(超弩級戦艦)オライオンである。ワシントン海軍軍縮条約により破棄された。
- ^ 二等巡洋艦 “レアンダー Leander” 全要目{排水量7,040噸 速力32.5節 備砲15糎砲8門、10糎高角砲4門 魚雷發射管8門(水上53糎4聯装) 起工1930年9月 竣工1933年10月 建造所 デボンポート海軍工廠} 巡洋艦國英國の面目は繚蘭と花の如く列んだ二等巡洋艦に窺はれる。C級(カリプソ等Cによつて始まるもの) D級、E級といつた世界戰爭の所産である諸艦は目下上から下までの大改装若返り法をほどこされてゐるが、先づ新時代の英國海軍巡洋艦として眞先に誕生し、今日西海に謳はれてゐるのがこの“ネプチュン Neptune” “オリオン Orion” “レアンダー Leander” “アキレス Achilles” “エージャックス Ajax” の5艦である。簡略なしかも堅固なる新艦型は7,000噸輕巡の一方の闘将たるに申分はない。全長165.65米、幅16.81米、平均吃水4.87米。
- ^ クレータ島沖海戰 伊英海軍の兵力量比較 英有利の原因は空軍利用[1] 英海軍當局談によれば三月二十七日より二十八日にかけて行はれたクレータ島沖の英伊海戰に参加した兩軍兵力は イギリス側 ― 地中海艦隊司令長官カニンガム大将直属の十五インチ砲戰艦ウオースパイト、ヴアリアント、バーラムの三隻新鋭航空母艦フオーミダブル(二七,〇〇〇トン)プリダム・ウイツペル少将麾下の輕巡戰隊オライオン、エージャツクス、パース、グロスターの六インチ砲巡洋艦四隻および驅逐艦隊、ギリシヤの驅逐艦隊より成りこれに對し/イタリア側 ― 戰艦三隻、巡洋艦十一隻、驅逐艦十四隻であつたと(以下略)(記事おわり)
- ^ 軽巡「エイジャックス」はアレクサンドリアへ引き返し、駆逐艦「インペリアル」は翌29日に自沈した。
- ^ アメリカ合衆国が連合国として参戦したのは、1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃と太平洋戦争突入後である。
- ^ 「英米一つ身」」の好例 アメリカ預けの英艦十八隻 兩洋の各軍港で修理休養中[9](中略)英艦十二隻の碇泊地 太平洋岸にも三隻/米國海軍省から公表された英艦は左記の如き戰艦一隻、巡洋艦五隻、航空母艦二隻、潜水艦一隻、驅逐艦三隻で、それぞれ左記の諸港に繋留中である ▲戰闘艦=ウオースパイト號、ワシントン州プレマートン港に損傷個所修繕のため入港中 ▲航空母艦=イラストリアス號及びフオーミダブル號、共に二万三千トン、一九四〇年竣工の新造姉妹艦、乗員士官兵士共に千六百名、目下ヴアジニア州ノールフオツタと碇泊中 ▲巡洋艦=デルハイ號(四千八百五十トン)、デト號(五千四百五十トン)ニューヨーク洲グルツクリンに入繋、リバプール號(九一〇〇トン)、オリオン號(七二一五トソ)桑港メイヤー島海軍工廠に繋留、假装巡洋艦アストリアス號はヴアジニア州ニューホート・ニュースに入渠中(小型艦略)(記事おわり)
- ジョン・ウィール「第三章 「マリタ」と「メルクール」作戦」『北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ 部隊と戦歴』手島尚 訳、株式会社大日本絵画〈オスプレイ軍用機シリーズ31〉、2003年3月。ISBN 4-499-22805-0。
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
- Martin Brice, Axis Blockade Runners of World War II, B. T. Bastsford, 1981, ISBN 0-7134-2686-1