オラシオ・カステジャーノス・モヤ(スペイン語: Horacio Castellanos Moya、1957年 - )はエルサルバドルの小説家、ジャーナリスト。
カステジャーノス・モヤは1957年、ホンジュラスのテグシガルパで生まれた[1]。父はエルサルバドル人で母はホンジュラス人だった。カステジャーノス・モヤが4歳のとき、一家はエルサルバドルに移住した。彼は1979年までエルサルバドルに住み、その後はトロントのヨーク大学に進学した。
ある時帰省の際、非武装の学生と労働者からなるデモにおいて政府のスナイパーが21人を殺害した事件を目撃した。彼は3月にエルサルバドルを離れたが、カナダには戻らずコスタリカとメキシコに向かい、ジャーナリストとして就職した。彼は1932年エルサルバドル平民虐殺事件により成立したファラブンド・マルティ民族解放戦線について好意的に書いたが、やがて党内抗争に幻滅した。
1991年、カステジャーノス・モヤは帰国して月刊誌の『テンデンシアス』(Tendencias)に寄稿するようになった。1995年に週刊誌『プリメラ・プラナ』(Primera Plana)の創刊に関与、同誌で1996年まで働いた。その後の数年間に彼は、『吐き気―サン・サルバドルのトーマス・ベルンハルト』、『鏡の中の悪魔』などの小説を出版した。『吐き気』の主人公はトーマス・ベルンハルト風の人物であり、エルサルバドルを離れた18年後に帰国し、祖国に対する悪罵を吐き散らす。この小説はエルサルバドル人の一部で非難を巻き起こし、発行禁止を呼び掛けた者や焚書した者もいたという。カステジャーノス・モヤの母が息子に対する犯罪予告を受けたこともあり、彼は1997年に亡命した[2]。
2002年以降、彼はメキシコシティに住み、自ら10年間の亡命とした。彼は2004年、グアテマラにおける先住民虐殺を扱った報告書『グアテマラ:2度と決して!』(Guatemala: ¡Nunca más!)を題材に取った小説『無分別』(Insensatez)を出版した。2008年、この作品はカステジャーノス・モヤの作品の中ではじめて英語訳される作品となった[3]。
カステジャーノス・モヤはフランクフルト・ブックフェアの招聘作家になり(2004年 - 2006年)、ピッツバーグの「シティ・オブ・アサイラム」プログラム(City of Asylum、2006年 - 2008年)で研修した[1][3]。2009年には東京大学客員研究員になり、その後はアイオワ大学教授を務めた[1][3]。また、サンプソニア・ウェイ・マガジン(Sampsonia Way Magazine)のコラムニストでもある[4]。
初の長編小説『ディアスポラ』(La diáspora)はエルサルバドル内戦による亡命者の苦しみを題材にしており、1988年に中央アメリカ大学の国民小説賞を受賞した。