オルトリナム男爵

オルトリナム男爵
Baron Altrincham

紋章記述

Arms:Sable three Owls Argent a Chief Azure issuant from the base thereof a Sun in Splendour Or.Crest:A Grenade Sable fired proper between two Roses Argent barbed and seeded also proper.Supporters:On either side a Lion Gules gorged with a Chain Collar pendent therefrom a Portcullis Or and supporting a Date Palm fructed proper
創設時期1945年8月1日
創設者ジョージ6世
貴族連合王国貴族
初代初代男爵エドワード・グリッグ英語版
現所有者4代男爵エドワード・グリッグ
相続資格初代男爵の嫡出直系男子[1]
付随称号なし
現況存続
モットー仕え、守るために
(Servire et Servare)

オルトリナム男爵: Baron Altrincham[ˈɒltrɪŋəm]OL-tring-əm)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。保守党の政治家エドワード・グリッグ英語版が1945年に叙位されたことに始まる。

歴史

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エドワード・グリッグ英語版(1879-1955)は、ケニア総督英語版枢密顧問官を務めた保守党の政治家で、1945年イギリス総選挙労働党が勝利したことを機会に政界を引退した[2][3][4]。彼はその引退時の1945年8月1日連合王国貴族としてグロスター州トーマートンのオルトリナム男爵(Baron Altrincham, of Tormarton in the County of Gloucester)に叙された[2][1]。彼ののちは、その息子であるジョンが爵位を継承した。

2代男爵ジョン(1924-2001)は作家兼政治家として活動した。彼は爵位一代放棄を認める1963年貴族法が成立すると、直ちにその権利を行使して、爵位一代放棄した二人目の世襲貴族となった[註釈 1][2][6]。彼には養子の息子が2人いたが嗣子でなかったため、爵位は弟であるアンソニー(1934-2020)が相続した[2]。 

3代男爵アンソニーの息子であるエドワード(1965-)2020年現在、オルトリナム男爵家現当主である。

オルトリナム男爵(1945年)

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爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるエドワード・ローレンス・ダンダス・ド・ミラモント・グリッグ(1995- )閣下。

脚注

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註釈

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  1. ^ 2代男爵ジョンは爵位一代放棄に関して、「肩書きをまた変えるのは面倒だったが、義務として放棄しなければと感じた。」と述懐したという[5]

出典

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  1. ^ a b No.37208”. The Gazette 3 August 1945. 2020年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d Altrincham, Baron (UK, 1945)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月2日閲覧。
  3. ^ No.14147”. The Edinburgh Gazette 24 July 1925. 2020年2月2日閲覧。
  4. ^ Kenneth Rose, "Grigg, Edward William Macleay, first Baron Altrincham" in The Oxford Dictionary of National Biography, H.C.G. Matthew and Brian Harrison, eds. (Oxford: Oxford University Press, 2004), vol. 24, p. 2.
  5. ^ Grigg, John (16 August 1997). “Punched, Abused, Challenged”. The Spectator: p. 3. http://archive.spectator.co.uk/article/16th-august-1997/13/punched-abused-challenged 21 December 2017閲覧。 
  6. ^ No.43072”. The Gazette 2 August 1963. 2020年2月2日閲覧。

関連項目

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