業種 |
レーシングチーム レースカー・コンストラクター |
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設立 | 1973年 |
創業者 | ユーグ・ド・ショーナック |
本社 | |
ウェブサイト |
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オレカ (ORECA, Organisation Exploitation Competition Automobiles) は、フランスのレーシングカーコンストラクターである。1973年にAGSのマネージャーであったユーグ・ド・ショーナックが設立した。
2015年時点で社員数110名の小さめの企業だが、ラリー・スポーツカーレース・ツーリングカーレースなど幅広いジャンルでメーカーのワークス活動を請け負った。これまでにBMW、マツダ、ダッジ、プジョー、トヨタ、セアト、ラーダの名を背負ってFIA世界選手権にエントリーし、その全てで成功を収めてきた。
本社はポール・リカール・サーキットの近郊にあるが、マニクール・サーキットの側にもテクニカルセンターを置くほか、アメリカ・香港・上海に拠点を持つ[1]。
2023年現在はワンメイクレースでのシャシーなどの供給を行うコンストラクターとしての活動がメインであり、FIA 世界耐久選手権 (WEC) でのトヨタとの業務が終了した2021年のル・マン24時間レース以降[2]はレーシングチームとしての表だった活動はしていない。
1972年から1989年はフォーミュラを中心に活動し、ヨーロッパF2やF3ではルネ・アルヌー、アラン・プロスト、ジャック・ラフィット、ジャン・アレジといったドライバーが同チームから出走。ヨーロッパF2で2回、フランスF3選手権では11回ドライバーズタイトルを獲得した[3]。
2014年からルノーは、オレカとの提携によりF3エンジン供給を行った[4]。
90年代からスポーツカーレースやGTカーレースに集中し、フランス・スーパーツーリング選手権にはBMWのワークスチームとして参戦した。
1991年のル・マン24時間レースにはマツダ・787Bで参戦。本番直前のテストウィークでマシンが大ダメージを受けたため、マツダが撤退しようとするのをショーナックが必死に説得。オレカは一週間で直して30時間のテストを敢行し、結果マツダとオレカはロータリーエンジン車唯一の総合優勝を勝ち取った[5]。
のちにダッジのワークスチームとなって、バイパー GTS-Rで1997~1998年にFIA GT選手権GT2クラスタイトル、1999年にはFIA GTの総合タイトルを獲得。1998~2000年にル・マン24時間クラス優勝、2000年にデイトナ24時間に総合優勝、セブリング12時間でクラス優勝をするなど多くの成功を収めている。
2001年末にダッジが撤退した後にもプライベーターとしてLMP900マシン、ダラーラ・SP1を引き継ぎ、PlayStation・チーム・オレカとして参戦した。
2005年のル・マン24時間レースにはアウディ・フランスの支援を受けアウディ・R8で参戦した。その他にも2006年にはサリーン・S7Rでヨーロピアン・ル・マン・シリーズに参戦した。チームのサリーン・S7Rはスパ・フランコルシャンで優勝している。
オレカはダッジと共同でダッジ・バイパーの競技車両を開発し、2006年から2007年にかけてGT3カテゴリーで100以上のカスタマーが同車両を使用した。
長年レーシングチームとして成功を収める一方、ショーナックはコンストラクターとなる夢を叶えるために2007年にクラージュ・コンペティションを買収。
2008年には第一号となるオレカ・01を開発した。01はLMP1カテゴリー参戦のために開発され、デビュー戦の2009年のスパ1000kmレースに2台がエントリーした。
2009年にはフォーミュラ・ル・マン用にFLM09を開発した。これはその名が意味するようにフォーミュラ・ル・マン・カップのみに使用される車両であったが、2010年にアメリカン・ル・マン・シリーズを含む他の3つの耐久シリーズへの参加も可能となり、LMPCクラスで参加することとなった。この考えは小規模チームが耐久レースに参加できる手頃なプラットフォームを入手できるようにする為であった。
オレカはカスタマー仕様のプジョー・908 HDi FAPの供給を受け、セミワークスとして2010年のル・マン24時間レースにも参戦、また残りのル・マン・シリーズのレースにも参加し、アルガルヴェでは総合優勝、ファクトリーチームを抑えてタイトルを獲得した。
2011年、オレカは2010年仕様のプジョー・908で、最新型のプジョー・908を破りセブリング12時間レースで優勝した[6]。また、2011年の新レギュレーションに合わせた新型シャシー、オレカ・03を導入した。03はP1クラスに投入された01とは対照的に、P2クラスに投入された。
2012年からはトヨタの新型LMP1車両、トヨタ・TS030 HYBRIDの運用チームに選ばれ、TMGとのジョイントでFIA 世界耐久選手権(WEC)に参戦。レースのオペレーションをサポートするため20人ほどのスタッフを送り込み、、ショーナックもトヨタレーシングの一員としてWECに帯同している。ただしマツダの時とは異なり、マシン開発には寄与していない[5]。2014年にはアウディ・ポルシェを打ち破って、WECのドライバーズ・マニュファクチャラーズの2冠に輝いた。
2015年LMP1のレベリオン・R-Oneとモノコックの基本設計を共有するオレカ・05を投入。ル・マン24時間レースで、KCMGがポール・トゥ・ウィンを飾っている。これはオレカのオリジナル開発のマシンとしては初めてのル・マンクラス優勝だった。またこの年から始まったLMP3のパッケージの販売もオレカが担当している。
2016年、シグナテック・アルピーヌに『アルピーヌA460』名義でOEM供給していた05が圧倒的な速さを見せつけ、WEC年間王者とル・マンの両方を制覇した。
2017年にACOによってコンストラクターが4社(オレカ・オンローク・ダラーラ・ライリー&マルチマティック連合)に絞られたWECのLMP2ではフル参戦の全チームがオレカ・07を選択しており、オレカへの信頼とサポートの厚さをうかがわせる。また速さと信頼性を兼ね備えたオレカ・07はル・マンでも猛威を振るい、LMP1のエントラント減少とトラブル多発に助けられ、総合でもポルシェLMP1に次ぐ2位の好成績を収めた。このため、ACOは翌年のシャーシ開発を4社のうちオレカだけ禁止するに至った[7]。またこの年限りで北米のウェザーテック・スポーツカー選手権のLMPCクラスが廃止されたことで、FLM09は9年間の長きにわたる役割を終えた。
2018年にはウェザーテック・スポーツカー選手権でもアキュラと共同開発したDPiマシン、アキュラ・ARX-05を投入。またレベリオン・レーシングがオレカと共同開発したLMP1マシン、R13を採用してWECに参戦した。この年のル・マン24時間ではトヨタが初の総合優勝を果たし、オレカは2度目の日本メーカーのル・マン制覇に携わったことになった。
2021年は移行措置として参戦が認められたレベリオン・レーシングが用いていたLMP1マシンを使用し、アルピーヌがA480とリバッジしハイパーカークラスに参戦する。
なおオレカはプジョーとの提携で、2022年投入予定のハイパーカー(プジョー・9X8)の開発に関わる予定であったが、IMSAの新規定である、LMDhに集中するとして破談になっている[8]。またトヨタとの関係も、2021年のル・マン24時間をもって終了となった[9]。一方でアキュラとの関係は継続し、2023年からアキュラが投入するLMDhマシンであるARX-06の開発を担う[10]。またアルピーヌも、2024年よりオレカ製シャシーをベースとしたLMDhマシンとしてアルピーヌ・A424を実戦投入する[11]。
2021年11月、フェラーリとの提携を発表し、フェラーリ・488 GT3 Evoの後継となるフェラーリ・296GTBをベースにした新型GTカーの組立並びにカスタマーサポートを担うことになった[12]。
オレカはラリーにも積極的に参加しており、氷上レースのアンドロス・トロフィーにアラン・プロストがトヨタ・カローラで出場する際も支援をしていた。2000年代にもトヨタ・ヤリスのアイスレース用マシンを開発している。
2000年代にスーパー1600規定のルノー・クリオ を開発・供給し[13]、JWRCではルノーのワークスチームとしてドライバーズタイトルを獲得した。同車はERC(ヨーロッパラリー選手権)でも2004年〜2005年にチャンピオンとなっている。
2010年代中盤はWRC2をメインに参戦しており、WRCに復帰する前のトヨタの育成ドライバーを走らせていたこともある。また、ステファン・サラザンがラリーチームを作る際も支援していた。
2017年にはR4キットカーの用の共通コンポーネント(エンジン、駆動系など)をFIAから委託を受けて開発し、2018年から販売している[14]。
この他シュコダやシトロエンのスーパー2000およびグループRマシンのエンジンの開発も担っている。
1990年前後にラーダ・サマーラを開発。ダカール・ラリーで総合5位、ファラオ・ラリー総合優勝といった好成績を収めた。
フィリップ・ガッシェ率いるフランスのSMGへバギー用エンジンを供給。WRC&ダカール覇者のカルロス・サインツがダカールでドライブした。同様にSMGがオペレーションする中国メーカーのハヴァル(長城汽車)のプロトタイプ車両のBMW製ディーゼルターボエンジンの開発も手がけている[15]。
またSMGと提携してハイブリッドバギーで2023年に参戦する計画があったが、実現していない[16]。
1989〜1990年にプジョーのワークスとして、フランスラリークロス選手権に参戦しチャンピオンを獲得した。
2014年に開幕した世界ラリークロス選手権への関与も深めている。オレカは汎用エンジンを開発し、チーム・ハンセンのプジョー[17]、OKモータースポーツのシトロエン[18]、ESモータースポーツのシュコダ[19]など幅広く採用された。2022年からフル電動化された世界ラリークロスでは、カーボン製モノコックや安全構造、ブレーキ・ステアリングなどの主要コンポーネントのサプライヤーも務める[20]。
ポルシェ・カレラカップやルノー・クリオカップ、アウディのフランスでのカスタマープログラムを請け負っている。
2010年にFFSA(フランス)GT選手権にて、アウディ・R8のグループGT3車両を用いて参戦した[21]。
世界ツーリングカー選手権(WTCC)には2005年の開幕初年度からセアトのオペレーションを担い[22]、2008〜2009年とドライバーズ/マニュファクチャラーズタイトルを連覇した。しかしセアトはこれを持ってワークスから撤退した。
その後2014年からWTCCに復帰するラーダのTC1マシン設計・開発、エンジンの開発に携わった。なおラーダとはTCRでも提携をしている[23]。
2019年からアルゼンチンのスーパーTC2000(現TC2000アルゼンチン選手権)に2.0L直列4気筒ターボのワンメイクエンジンを供給している[24]。