オロ | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム | オロ[1] |
本名 | ヘスス・ハビエル・エルナンデス・ソリス(Jesus Javier Hernandez Solis)[1] |
ニックネーム | 空飛ぶ黄金戦士[2] |
身長 | 180cm[2] |
体重 | 85kg[2] |
誕生日 | 1971年12月24日[1] |
死亡日 | 1993年10月26日(21歳没)[1] |
出身地 |
![]() ハリスコ州グアダラハラ[1][2] |
トレーナー | エル・カラベラ2号[1]、ディアブロ・ベラスコ[1] |
デビュー | 1990年11月23日[1] |
オロ(Oro、ヘスス・ハビエル・エルナンデス・ソリス(Jesus Javier Hernandez Solis)、1971年12月24日 - 1993年10月26日)は、メキシコのプロレスラー(覆面レスラー)。ハリスコ州グアダラハラ出身。
父はエル・カラベラ1号、2号兄弟の2号[1]、兄弟にプラタ、オロ(2代目)[1]、いとこにカラベラ・ジュニア、ブロンセ、ゴールデン[1]、甥にオロ・ジュニア(2代目、プラタの子)がいる[1]。
子供のころより野球とバレーボールに熱中。その後兄・プラタの影響でアマチュアレスリングを始め、1985年にはハリスコ州のミドル級チャンピオンになった[2]。
父・エル・カラベラ2号らのルチャの英才教育を受け、1990年11月23日にメキシコシティでデビュー。
早くからEMLL(現在のCMLL)所属になり、プラタ、ブロンセらで「ロス・メタリコス(Los Metalicos)」を結成。
1991年12月4日にはプラタと組んでトニー・エース、ブルカノ組を破りメキシコナショナルタッグ王座を奪取[3]。また連邦区トリオ王座も奪取。
1992年にはユニバーサル・プロレスリングにプラタと共に来日[2]。9月6日にはネグロ・カサスの持つUWA世界ミドル級王座に挑戦も敗退[4][2]。
1993年5月23日にはCMLLにてマノ・ネグラの持つNWA世界ミドル級王座に挑戦しシングルの初戴冠、7月3日同相手に防衛失敗[5]。 10月26日にアレナ・コロセオで行われた大会にラ・フィエラ、ブラソ・デ・プラタと組んでドクトル・ワグナー・ジュニア、ハケ・マテ、カオス組と対戦、試合中に体調を崩しリング下に蹲り、そのまま倒れ、スタッフらに手当てを受け担架に運ばれたが、同日亡くなった。
父 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エル・カラベラ2号 | エル・カラベラ1号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オロ | プラタ | オロ(二代目) | プラタ(二代目) | カラベラ・ジュニア | ブロンセ(二代目) | ゴールデン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オロ・ジュニア(二代目) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||