「オー! スーパーマン」 | ||||||||
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ローリー・アンダーソン の シングル | ||||||||
初出アルバム『ビッグ・サイエンス』 | ||||||||
B面 | ウォーク・ザ・ドッグ | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | シングル | |||||||
録音 | ニューヨーク(1981年) | |||||||
ジャンル | アート・ポップ、エクスペリメンタル・ポップ | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル |
ワン・テン・レコード ワーナー・ブラザース・レコード(再発) | |||||||
作詞・作曲 | ローリー・アンダーソン | |||||||
プロデュース | ローマ・バラン、ローリー・アンダーソン[1] | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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「オー! スーパーマン」(O Superman)は、パフォーマンス・アーティストとして活動していたローリー・アンダーソンが1981年に発表した楽曲。DJのジョン・ピールが支持したことで英国で火が付き[4]、全英シングルチャートの2位を記録した[5]。本国のアメリカ合衆国を除き、多くの国でヒットした。
ジュール・マスネが1885年に発表したオペラ『ル・シッド』のアリアを元にローリー・アンダーソンは本作品を書いた。「Ô Souverain, ô juge, ô père」(O Sovereign, O Judge, O Father)という歌詞は、「O Superman / O Judge / O Mom and Dad」と置き換えて歌われた。アンダーソンは、アメリカのテナー歌手、チャールズ・ホーランドのコンサートでこのアリアを聴き、そのあとで曲の着想を得たとされる[6]。
『ガーディアン』のインタビューでアンダーソンは次のように述べている[7]。
1979年、イランの学生たちはテヘランのアメリカ大使館に突入した。アメリカ政府は怒りにまかせ、ヘリコプターで人質らを救出しようした。でも作戦はまったく裏目に出た。砂漠でヘリコプターと飛行機がぶつかり墜落してしまった。私たちが目にしたのは死体と、燃えさかる瓦礫の山だけ。人質なんてどこにもいなかった。私は曲を書かなくちゃいけない、と思った。これらすべてのこと。そしてテクノロジーの失敗について。ちょうどその頃、マスネが書いた19世紀の美しいアリアを聴いた。「O souverain」で始まるそれは権威に対する祈りだ。私は面白いと思って曲を書き始めた。「おお、スーパーマン・・・」。歌詞は神に捧げる祈りのような、一方的な会話から成り立っていた。ちょっと不吉かもね、と思った。でもやはり権力に向かって話しかけるわけだから、不吉にならざるを得ない。私は、不吉なるものと世にありふれたイメージを並列することにした。「お母さん、あなたの長い腕(arms)で、あなたの石油化学の武器(arms)で、軍隊の武器(arms)で私を抱きしめて」
父親と母親に対する愛情を呼び覚ますために、私たちは「アメリカは母国である」と教えられ続けてきたけれど、そんなの本当のことじゃない。だから私はアメリカの郵便局のスローガン「Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night stays these couriers from the swift completion of their appointed rounds」を歌詞にもぐりこませた。
またアンダーソンは、『老子道徳経』第38章、14番目の言葉にインスパイアされて歌詞の一部を書いた[8]。
演奏と録音は、アンダーソンのニューヨークの自宅のレコーディング・スタジオ「ザ・ロビー」で行われた[9][10]。歌のいくつかはヴォコーダーを用いて録音された。ローマ・バランがファルフィッサのオルガンとカシオの電子楽器を弾き、プロデューサーとエンジニアも務めた。ペリー・ホーバーマンがフルートとサキソフォンを吹いた[1]。「オー! スーパーマン」のほか「ウォーク・ザ・ドッグ」も制作された。
アンダーソンはそれまでポップ・ミュージックの世界になんら関心がなかった。しかし友人らに説得され、「オー! スーパーマン」をシングル盤として発表することになった。1975年から79年までアンダーソンのステージ・ショーの共同監督を務めていたB. ジョージは、自身が設立したレコード・レーベル「ワン・テン・レコード」から出すことをすすめ、アンダーソンは彼の意見にしたがった。「オー! スーパーマン」は8分21秒もあったため、45回転ではなく33回転のレコードとして制作され、1981年2月に発売された。B面は「ウォーク・ザ・ドッグ」。アンダーソンによれば、レコードは通信販売で、1000枚だけ作られたのだという[7]。ジャケットはアンダーソンが描き、グラフィック・デザインはペリー・ホーバーマンが担当した[1]。
イギリスのDJのジョン・ピールがラジオ番組でかけ、彼が強く推したことから評判を呼び、1981年10月、イギリスではワーナー・ブラザース・レコードから発売された。全英シングルチャートでは2位を記録する大ヒットとなった[5]。アイルランドは11位、ベルギーは19位、オーストラリアは28位、ニュージーランドは21位、南アフリカは16位を記録した。日本では1982年1月にシングル盤が発売された[11]。
このヒットにより、ワーナー・ブラザース・レコードからアルバムを出すことが決まり、1982年4月14日、ファースト・アルバム『ビッグ・サイエンス』が発売された[12]。シングルB面の「ウォーク・ザ・ドッグ」はアルバムには収録されなかった。「オー! スーパーマン」はミュージック・ビデオも制作された。「その声は言った。"Neither snow nor rain nor gloom of night shall stay these couriers from the swift completion of their appointed rounds"」の箇所では、アンダーソンが手話を使って説明する姿が挿入される[13]。
アンダーソンは1984年に5枚組のライブ・アルバム『United States Live』を発表。「オー! スーパーマン」と「ウォーク・ザ・ドッグ」のライブ・バージョンが収録された。
2001年8月、アンダーソンはアルバム『Life on a String』を発表し、これに伴うコンサートツアーが企画される。彼女は当初、アルバムの曲のみの演奏を考えていたが、パートナーのルー・リードにすすめられ古い曲も演奏することとなった。そこへ同時多発テロ事件が発生する。事件直後の9月20日と21日、ニューヨークのタウンホールでコンサートを開き、「オー! スーパーマン」も演奏した。このときのコンサートは翌年、2枚組アルバム『Live in New York』として発表された。
2021年5月20日、アンダーソンは、ローマ・バラン(シンセサイザー)、ルービン・コデリ(チェロ)とともに、NPR Musicの「タイニー・デスク・コンサート」に出演。本作品のほか「Let x=x」「Violin Cello Improv」を配信した[14]。
この曲の歌詞の一部には「只今不在です…」等の留守番電話用のメッセージが使われているが、80年代の一時期、今野雄二は自宅の留守電(メッセージのバック)にこの曲を使用していた。