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名前 | ||||||
本名 |
カイルル・ファーミ・ビン・チェ・マット Khairul Fahmi bin Che Mat | |||||
ラテン文字 | Khairul Fahmi Che Mat | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | マレーシア | |||||
生年月日 | 1989年1月7日(35歳) | |||||
出身地 | コタバル | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | サバFC | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 19 | |||||
ユース | ||||||
2006-2009 | ケランタンFA | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2009 | ハリマウ・ムダ | 30 | (0) | |||
2009-2016 | ケランタンFA | 156 | (0) | |||
2017-2018 | パハンFA | 171 | (0) | |||
2018-2021 | ムラカ・ユナイテッドFC | 58 | (0) | |||
2022- | サバFC | 1 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2010-2012 | マレーシア U-23 | 28 | (0) | |||
2010- | マレーシア | 61 | (0) | |||
2011-2012 | マレーシアリーグXI | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年9月3日現在。 2. 2021年12月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カイルル・ファーミ・チェ・マット(マレー語: Khairul Fahmi Che Mat、1989年1月7日 - )は、マレーシアのサッカー選手。マレーシア代表[1][2]。ポジションはGK。
2006年にケランタンFAのプレジデンツカップチームに加入。ここで正ゴールキーパーとなり、2006-07シーズンのマレーシア・プレジデンツカップの決勝にまで進出したものの最後はPK戦で敗れた。2008年にアマド・ファクリ・サーラニと共にハリマウ・ムダに選抜され、マレーシア・プレミアリーグを戦った。その後、エールディヴィジに所属するPSVアイントホーフェンが彼に関心を寄せ、アスラルディン・プトラ・オマールと共にU-19、U-23チームに1週間のトライアルに参加した[3]。
2009年にケランタンFAに復帰、20歳にしてトップチーム登録となった。ケランタンFA史上最も若いゴールキーパーとなり、シェッド・アドニーがマレーシア・スーパーリーグのケダFA戦でミスをした後に出場機会が回ってきて初出場となった[4]。2010年にクラブはマレーシアカップを制覇[5]、彼も最優秀若手選手賞、最優秀ゴールキーパー賞を同年に受賞した[6]。
2017シーズンよりスポンサーのプーマの関係上、パハンFAへの移籍が決まった。5年契約で月給17万リンギットの内容での移籍となった。
U-23代表としては2010年アジア競技大会が初出場となった。1次リーグは日本代表とも同組となった中でグループステージ突破に貢献したものの、決勝トーナメント一回戦のイラン代表相手には1-3とされ敗北した。その後の2012年東南アジア競技大会ではインドネシア代表相手に2つのPKを止め、1-1の引分からPK戦に縺れ込んだ決勝戦を勝利に導いた。また、ロンドンオリンピックサッカーアジア予選では第3ラウンド進出まで決めたものの、グループステージで一勝も出来ずにオリンピック出場とはならなかった。
A代表初出場となったのは2010年9月3日のオマーン代表戦であり、この試合のハーフタイムにシャルビニー・アラウィーと交代しての初出場となった。彼は無失点に抑えたものの、前半に3失点を喫していたために無失点試合ではなかった。同年11月にはラヤゴパル・クリシュナサミ監督から2010 AFFスズキカップのメンバーに選抜された。タイ王国代表戦を0-0に抑え、ベトナム代表との準決勝の2試合も無失点に抑える活躍を見せた。決勝ではインドネシア代表との対戦となり、第1試合を3-0の勝利に終え、彼はまた無失点で試合を終えた[7]。第2試合でも序盤にPKを止めたのを始めに多くのセーブを見せたものの2失点、試合は2-1で敗れた。しかし彼の好セーブによってマレーシアは二戦合計で勝利を掴み、同選手権で初めての優勝を同国に齎した[8]。2012 AFFスズキカップでもメンバーに選ばれ、11月26日のグループステージ初戦となったシンガポール代表戦に出場したものの、0-3で完封された。彼はシャーリル・イシャクに32分にゴールを割られると、その6分後に再びイシャクに得点されてしまった。後半にはシンガポールの主将であるアレクサンダー・ドゥリッチにも得点を決められて完敗となった。結局マレーシア代表はグループステージを突破する事が出来なかった。
5人きょうだいの4人目として生まれた。コタバルで教育を受けた後、ジョホールバルの学校に進んだ。その後、ブキット・ジャリル体育学校に進んだ。小学校の頃からスポーツに積極的であった。
2012年12月28日には結婚[9]、娘一人と息子が二人いる[10]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
マレーシア | リーグ戦 | マレーシア杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | ハリマウ・ムダ | プレミア | 24 | 0 | - | 2 | 0 | 26 | 0 | ||
2009 | ケランタンFA | 12 | スーパー | 5 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 |
2010 | 19 | 26 | 0 | 13 | 0 | 2 | 0 | 41 | 0 | ||
2011 | 24 | 0 | 10 | 0 | 7 | 0 | 41 | 0 | |||
2012 | 21 | 0 | 9 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
2013 | 22 | 0 | 11 | 0 | 6 | 0 | 39 | 0 | |||
2014 | 15 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 24 | 0 | |||
2015 | 21 | 0 | 5 | 0 | 6 | 0 | 32 | 0 | |||
2016 | 22 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 30 | 0 | |||
2017 | パハンFA | 19 | |||||||||
通算 | マレーシア | スーパー | 156 | 0 | 54 | 0 | 35 | 0 | 245 | 0 | |
マレーシア | プレミア | 24 | 0 | - | 2 | 0 | 26 | 0 | |||
総通算 | 180 | 0 | 54 | 0 | 37 | 0 | 271 | 0 |
マレーシア代表 | ||
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年 | 出場 | 得点 |
2010 | 7 | 0 |
2011 | 3 | 0 |
2012 | 6 | 0 |
2013 | 6 | 0 |
2014 | 8 | 0 |
2015 | 6 | 0 |
2016 | 8 | 0 |
2018 | 9 | 0 |
2019 | 2 | 0 |
2021 | 5 | 0 |
計 | 61 | 0 |